仏教
おだやかに満足して生きる・涅槃
人の痛みを知る・大悲



有情の苦しみ

 有情とは、情けを持つものという意味です。情けとは痛みであったり、他人の痛みを感じる心です。私たちはこの世に生まれて、あるものは幸福に、あるものは悲惨に生きています。リストラや鬱病で自ら命を絶つものもいるし、必要のない欲得の戦争で家族を殺されていくものもいます。
 この世は無情です。そしてその無情を生み出す責任の多くを人間の欲望や恨みや無知が負っています。
 私たちは自分たちで苦しめあうことになってはいないでしょうか。まず、苦しみの事実を見つめなければならないでしょう。
 そしてその苦しみを生み出す私たちの煩悩の動きを見なければならないでしょう。

もうすこしおだやかな心で生きませんか

 少欲知足、欲得を少なくしてのんびりとおおらかに生きる。もしも、自分がいま、とりあえず心配が少なくて、そこそこの生活をしているならば、心をおだやかに持ちたい。心を落ち着けて少し満足したい。仏教の目指すところは「涅槃」。涅槃とは心の平和です。
 その心の平和は自分で作り上げる安らかな境地です。もっと偉くなりたい、もっと快楽が欲しい、もっと金持ちになりたいと欲を重ねることをやめるならば、そして今、自分に与えられたものに満足するならば、心はおだやかになり、何ものにも侵入されたり乱されたりすることのない、豊かな境地をつくることができるでしょう。
 それは、自分で作り出す満ち足りた心です。今日食べるものがある。今日みんなと元気で生きている。こんなにすばらしいことはないはずです。あれができていない、これができていないと言う前に、まず、今の状態に満足する。そしてその心に満足することができるならば、それこそ仏教の完成でなのです。

人の痛みを知る

 少しく満足を得て、涅槃のような境地になったら、おそらく私たちはいろいろな欲望から少し自由になっているでしょう。満足してしまったらこんなに強い味方はありません。満足して心がおだやかになっていたら、今度は、だれかがひどく苦しんでいないか目を向けてみませんか。
 戦争で痛んでいる人、悲しんでいる人。飢餓に苦しむ人。失業に苦しむ人。搾取や暴力に痛めつけられている人。多くの人が困難の中にいる。そして、そのなかのだれかひとりに焦点をあてることができるでしょうか。イラクやアフガンやチェチェンや路上生活者や・・・その中のひとりと友だちであったら、自分の心は痛むでしょう。
 そして自分の心の「涅槃」のなかにその人の痛みが同居するようになります。なぜか分からないけど、自分が満足していて、他人が苦しんでいるのを放ってはおけません。
 今、世界には苦しんでいる人がいます。
 ひょっとすると、この自分が幸福を得ているために苦しんでいる人はいないか。たとえば日本の繁栄の陰で苦しんでいる国はないか。そして自分が動くことで苦しみを軽減できる人はいないでしょうか。
 もしも、この世に苦しんでいる人がいれば、私たちの心は痛みます。もしも他人の痛みを感じないならば、有情とはいえないかもしれません。でも私たちには、必ず他人の痛みを知る力が備わっています。
 そして私たちは、満足するとともに生きる人々の痛みを知らねばならないのです。

慈悲喜捨の清浄の行を

「慈」とは喜びをともに喜ぶこと。
「悲」とは悲しみをともに悲しむこと。
「喜」とは他者に与える喜び。
「捨」とは貪欲、怒り恨み、無知無関心を捨てること。
 まず、私たちの心を縛りつけているのは貪欲・怒り恨み・無知無関心などの煩悩です。
 もっと快適な生活がしたい、あれが欲しいこれが欲しいといのが貪欲です。地位や名誉への欲もそうです。とりあえず安心した生活ができるならばこれ以上何がいるのでしょう。人と比べて自分が劣っているとか、優れているとか比べることも欲望の仕業です。もっと良くなりたいもっと欲しいと思うのは自己がどんどん大きくなろうとする欲望です。この欲望をすべて捨てろというのでありません。満足していれば、ほどほどでいいだろうというのです。
 怒り恨みは人を傷つけ、そして自分を傷つけます。怒り恨みから自由になりたいものです。そして無知無関心。何事も早合点せずにじっくりと相手の立場に立って理解することが必要です。
 人間は煩悩の生き物ですから、なかなかできないことばかりです。しかし、人を傷つける煩悩は捨てたいものです。
 そして、まず、悲。他人の痛みを分かりたいものです。これは仏教の入門だと思います。他人の痛みが実際に分かるわけではないでしょう。しかし、少しでも痛みを共感したいものです。なんとかしたいと思いたいものです。
 慈。喜びを分かち合いたい。本当の喜びとはなんでしょう。やはり、悲しみをともに超えようという努力の共感でしょうか。
 喜。他者に何かできる喜びでしょうか。人間は不思議です。他人に喜ばれることは予想外に自分を励まし成長させるようです。

不殺生

 他者を痛めつけることだけはやめたい。自分が生きるために他人を傷つけるのが殺生です。痛みを与えることです。これは絶対にしてはなりません。
 なぜなら「世界中で一番大事なものは。自分です。そしてだれにとっても同様に自分が一番大事です。だから自分の身に引き当てて他人を大事にしなさい」と説かれます。みんな平等にいとしく大事な生き物であり、苦しみながら一生懸命に生きています。だからだれも傷ついてはなりません。いわんや傷つけてはなりません。これは私たちが有情であることの運命であります。
 不殺生。人は人を殺してはならない。また殺さしめてはならない。殺されてもならない。
 仏教徒としてこのことは絶対に破ってはなりません。不殺生

地球のみんなが生まれてきて良かったといえるように