07新聞
0701 1・17痛みを力に ホームレスクリスマス「ひとの痛みを知る」
0702涅 槃 えひめ丸事件を考える集いに寄せる思い
0703花祭り 弘法大師御影供養
0704快晴の春遍路 花祭りにて
0705春の日うらら
0706弘法大師誕生祭あるお遍路さん
0709弘法大師大楽金剛 あるお遍路さんA
0710平和を愛するビルマの僧侶と連帯を お四国まいり被災者とともに
0711一年をふりかえる 不登校の子が学校に行った
0712年覚えおへんろ 寒空のホームレス
0701 1・17痛みを力に ホームレスクリスマス「ひとの痛みを知る」
1・17痛みを力に
昨年から書き始めた平和短冊の新しい文字である。その前は「平和、思いやり、不殺生」そして「生きる」そして「平和と笑顔」。
 できそうないことをすらっと書いてみる心地よさとは反対の心の葛藤というか煩悶は居心地のよいものではない。人の痛みが分かるはずがない。自分が生きるのが精一杯なのに何で他人のことまで分かるはずがあろうか。
 そんな言葉が、震災の日一月十七日思わず心に浮かんだ。六千余名が亡くなられた。そして何万という人が家族知人を失い、家を失い、職を失い、故郷を失い、痛み途方に暮れた。
 十二年目のその時刻。本堂に被災者の方が十数名参列された。今では九十軒の案内になってしまったが、それでもお便りをいくつは頂き、こうして少なくない方々が供養のために参列される。
 「亡くなられた方のことを思い手を合わせ冥福を祈ると共に、この間の痛みを生きる力に変えていくことを誓いたい。」お祈りの前に出た言葉である。
 この日、震災の時の事を思い、家を出る事もままならない人も多い。苦痛が大きすぎるのだ。十七日が近づくと気持が塞ぎ、鬱になり、何もできなくなるという方も多い。
忘れたいけど忘れられない日なのである。
 みんなの心は、暗い方向へと行く。痛い方角へと傾いていく。同時刻、黙祷。
 何故か、心が合わさったような気がした。私が震災で出会った人々。死んだ人。御布施をくれた人。元気な仮設のおばちゃん。何かしようと集った仲間。みんな必死だった。弔いと復興に必死だった。何か出来る事を模索した。何もできない事が多かった。苦悶と徒労のボランティア。被災者の気持との対立。気持の空回り。
 それらのわだかまりが溶けていってはならないのだろう。ゴツゴツと固く痛く棘刺さるままでいて、いつも私たちを励まし奮い立たさねばならないのだろう。
 それでも、黙祷と祈りの僅かの時間、私たちは同じ場所にいた。死んだ人も齷齪した人も悲しい人も同じ場所に同じ心でいたように感じた。
 これからである。再建はこれから。
 やはり、この痛みを再建の力に、生きる力にせねば浮かばれまい。

ホームレスクリスマス「ひとの痛みを知る」
 二回目のホームレスさんとのクリスマスを行いました。一昨年は十名もの人が来ましたか。今年は少ない人数でしたが、サロン風に盛り上がり、クリスマスの歌もハッピーバースデーの歌もケーキを美味しくしました。
 その中で、お遍路さんが「日本の人はきちんとした遍路にはお接待をするが、私のような薄汚れたお遍路にはしない。外国の人は惨めな生活を知っているから、困っている人にちゃんと布施をするが、日本の人はしない。憐れむ心がない」という話をしました。
 みなさんはどう思いますか。あわれみの心は良くないという人もいます。かわいそうだというのは良くない。
 ならばそのような事がどうして世間にはあふれているのでしょう。
0702涅 槃 えひめ丸事件を考える集いに寄せる思い
涅 槃 えひめ丸事件を考える集いに寄せる思い 涅槃とは「ねはん」と読み、仏教の究極の目的です。至福といってもいいと思います。私たちの最高の幸福とは何か、最も大事にするものは何か、生きる意味は何かと言ってもいいと思います。
 この日、信徒会長さん始め先達さん御詠歌の方々と共にお釈迦さんを偲び、一日安楽を得ました。
 一つにはこのようにみなさんと共にお釈迦さんを囲み、安楽の世界を垣間見ることができるという幸福です。生きてきて良かったと思える人は幸福でしょう。生きるとはたくさんの出来事に出会います。喜びよりも苦しみが多いのも人生でしょう。そんな中に、安穏の二字を心に実現することは簡単でもあり困難でもあります。苦しみの向こうに必ず幸福があると仏教は語ります。それは自分の煩悩を解決し慈しみの心を持つことだと言われます。
 この一日涅槃を世界に広げていきましょう。

えひめ丸事件を考える集いに寄せる思い
 えひめ丸事件についての真摯な取り組みが県内の学問の府の方々によって行われていることを尊敬し嬉しく思います。特に、事件で亡くなられた方々と遭難された方々、そしてご家族関係者の方々にとっては強い支えになっているものと思います。
 私は僧侶として戦死者、震災犠牲者、自殺者他の供養に司祭として臨むことがありますが、その時に思うことは、亡くなられた方のことを思う時、特に故人の平安というものを願う時、私たちに何ができるのかということであります。この行為を「追悼」「供養」「慰霊」などと表しますが、その時私たちは何をすべきかということです。それは、一つには故人の声を聞くということではないでしょうか。故人の痛みを悼む、そして故人を尊敬し故人の立場で事件を考える、そして平安であることを祈る、または、どのように願われているかを推し量って行動を誓うということだと考えます。
 それは、共感であり、事件の真実の追求であり、その共有と再発防止です。そのことは亡くなられた方に対してのみならず、被害者、遺族、関係者に対して必要であり、また加害者に対しても必要であると考えられます。
 えひめ丸事件は、私見では、日米関係を含み、また軍隊という特殊な権力団体を加害者とする事件です。当初より日米関係を大事にするという言葉が流れ、個々人の思いはなかなか表に出なかった感を受けました。そんな中で、「真実を明らかにする」ということが大事であるにもかかわらず棚上げされた中で早期の決着を急いだと見るのは間違いでしょうか。
 昨年の御供養の直後、ピーター・アーリンダーさんの「 えひめ丸事件  語られざる真実を追う」を読んで私は自分の苦しさというか痛みが幾分軽減されました。また、その本に書かれていることが県民や日米両国民のみなさんで討議され共有されるならば亡くなられた方々や関係者の心はどれほど安らぐだろうかと期待しまた歯痒い思いでした。犠牲者の平安と事故再発の防止を願わないものはいません。しかしその二つを確実なものとするのに不可欠のものは真実の解明であると確信します。
 そしてそこに至るまでには、関係者特に被害者となられた方々が痛みの中から発せられる声に耳を傾け、共に歩むという痛く困難な作業が必要であり、それを行って来られまた行いつつある方々に敬意を表するばかりです。一つ一つの真実が明らかになっていく中に、犠牲者への強い共感と愛情と平安を祈る尊い気持が強くあることに心を動かされます。これらの営みによって、帰らぬ生命の方々は少しでも平安となり、今も困難の中に回復を願う方々が生きる力を強くすると感じます。
 私どもが行っている追悼供養は、この作業の起点であり、報告であり、決意であると感じます。やっと、私たちは追悼の端緒に就きつつあるといえるのではないでしょうか。
0703花祭り 弘法大師御影供養
花祭り
 お釈迦さんの誕生を祝います。今から二千五百年の昔、インドの釈迦国に王子が生れました。後のお釈迦さんです。ルンビニーをマーヤー婦人が通りかかったときに生れたと言い伝えられます。前夜の夢に、白像がやってきてその翌日のこととされています。
 その誕生のとき、草木や花や鳥や動物たちは、この世の苦しみを救う待望の方が生れたと言って、花は咲き、鳥は歌い、お祝いしたといいます。生れてきたお釈迦さんは七歩あゆんで「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんがゆいがどくそん)と叫んだといいます。
 その意味は、私より尊い者は居ないという意味です。さて、あらゆる生き物は最高の尊厳をそれぞれに持っているという意味なのか、それとも私しか苦しむ人々を導くことはできないということを言うのか、どちらでしょう。
 ひとつ大事なことは、お釈迦さんに期待されたのが「あらゆる苦を除く」ということだったことです。あらゆる苦しみを除くということ。特定の人間でもなければ、人間だけでなもなく、生き物の苦しみ全てであり、ひょっとするとあらゆるものの苦しみ全てを除くことがお釈迦さんに期待されたことでした。
 苦しみを除き幸福になるのは、私だけではありません。私の家族や友達だけでもありません。日本の人だけでもありません。隣の人も、隣の国も、みんなが苦しみを離れ幸福を得ることが期待されたのです。そしてお釈迦さんはその教えを説くのです。
 当時は、というか当時も、戦争に明け暮れた時代でした。小国が大国に呑み込まれていく時代です。人々は互いに武器を持ち戦っていました。そんな時、武器を捨て、一人だけ幸福になるのではなく、みんなともに幸福になる道を説きました。自分の煩悩を清め慈悲の心を起こし、やわらかであたたかい心を持つように説いたのです。
 そういえばキリストさんも「汝の隣人を愛せ」と説いています。いずれの場所においても聖人は同じことを説くのになぜ争いは止まず、対立と戦いが続くのでしょう。
 花祭りの喜びを噛みしめながら、私達は戦いではなく、喜び合うことを優先すべきなのでしょう。
 花祭りには、産湯といわれる甘茶をお接待します。飲むと無病息災になり、家の周りにまくと毒虫除けになると言われます。

弘法大師御影供養
 弘法大師が御入定された日にお大師さんに会う供養を行います。
 御入定(じょう)とは、お大師さんの修行の鐘の音が、高野山の奥の院に消えた日を言います。そして定つまり禅定に入るといいます。私は悟りの境地に静に精神統一していかれたのだろうと思います。あるいは万灯会の願文にお大師さんが書かれているように「生きるもの全てが涅槃至福を得るまで祈り続ける」その気持に入られたのだと思います。
 ですから、お大師さんは不滅なのです。死なないのです。もしかして、生きるもの全てが苦しみを離れ至福涅槃に至るなら、お大師さんは喜んで死ぬかもしれません。死ぬといっても本当の涅槃に入るということです。
 俗には、正御影供養とはご命日ということですが、その日にお参りをするということはお大師さんの教えを頂く事、同行二人の行を行う事、特に、万灯会の気持を私達自身が持つ事です。つまり、この世に同様に生きる者として生きるもの全てが苦しみから解放され幸福になるようにと心から願う自分になる事です。
 それは即ち、御供養の最も大事な意味である、お大師さんの気持になりお大師さんに喜んでいただく事です。
0704快晴の春遍路 花祭りにて
快晴の春遍路
 「菜の花畑に鈴が行く・・・」岩屋寺さんがつくられたお遍路行の歌を思いながら歩んだ一日でした。足元には小さな紫や黄色の花が可憐に咲いています。石手寺遍路行の唯一の約束事をご存じですか。それはお寺に入ったら出会う人とあいさつをすること。そのあいさつは笑顔で行い布施の行である事です。
 お遍路には心の晴れた時もあれば曇った時もあります。そして中には死んでしまいたいほどつらい気持でなんとか遍路に出かけてきた人もいます。「子どもが若くして死んで、やっと供養の思いで遍路にでました」。そう語る人は少なくありません。うれしい時に笑顔であいさつするのは簡単な事です。しかし、つらい時に笑顔をつくるのはつらい事です。それでも、あいさつをしていると笑顔に出会います。その笑顔もひょっとすると苦難を乗り越えての笑顔かもしれない。多分何人かの内の一人はそうに違いない。そう思うと、「私も笑顔を布施しようか」と思います。
 実際、笑顔であいさつをしていると、曇っていた心が少しずつ晴れて来ます。
 「こんにちは」「良いお参りですね、また会いましょう」。なんでもない会話ですが人と言葉を交わし、人と笑顔を交流させると、閉じていた心も開けてきます。
 「あなたはどんな事でお遍路にでましたか」。答えはなくてもなんとなくわかる気持がします。
 一人で悩み苦しむ遍路もあっていい。共に生きている感覚を取り戻す遍路もあっていい。お愛想笑いがいつか心の底から笑える様になればいいなと思います。
 あなたもお遍路にごいっしょしましょう。

花祭りにて
 四月八日は天気もよく日曜日でもあり大勢の参詣の人々で境内は埋まりました。
 石手幼稚園児を中心とした三十名以上のお稚児さんがお釈迦さんを乗せた白い象を引っ張ります。境内には、みなさんが持ってきていただいた赤・黄・紫さまざまな花が飾られて、お釈迦さんの誕生の時に、花々や動物たちが「これで救われる」と喜んだ光景がそのまま目の前にある様でした。
 甘茶が配られ、甘露の教えに浸りながら私達はいっしょにお経をあげ甘茶をお釈迦さんにかけて供養しました。
 僧侶、先達さん、お稚児さん、御詠歌さん、そして参拝の方々がお茶をかけていきます。みなさん恭しく礼拝し手を合わせ甘茶をかけます。その間、みんなは般若心経や光明真言御詠歌をあげ続けました。それは荘厳な雰囲気で、お互いがお経を捧げながら、お互いをめでつつ守りつつ温かな雰囲気でした。
 ふと、参列者に眼をやると車椅子の方が目頭を抑えています。向こうでは一心に手をあわす方もおられます。
 まるでお釈迦さんが目の前にいて、「みんなで思い合いながら助け合って生きていくのはこんなにすばらしいことなんですよ」と言われている様な気分でした。お釈迦さんをみんなで取り巻き、教えを聞きながら、ともに大事にしながら生きている中で、生きている喜びを噛みしめているそんな満たされた気持が湧いてきました。
 みんなのお経が、そこにいる一人一人のために読まれているのです。ひとりひとり参拝して甘茶をかける時、みんなのお経はその一人のために読まれているのでした。
0705春の日うらら
 春はお遍路さんの季節である。朝の納経所で歳は五十ぐらいの女性のお遍路さんと話した。お遍路さん曰く。「ちょうど困っていると不思議と助けられるんです」。「そうなんですか」。「足が痛くてもう歩けないな、と思っていると『どうぞ乗っていきませんか』と声をかけられます。疲れてくじけそうになっていると『精が出ますね。へこたれないでくださいね』と言葉に助けられるんです。みなさんの温かな言葉に助けられる事の方が多いでしょうか。ほんとにだめになりそうになると助けられます」と。
 もう一人、初老の男性とも話した。「郵便局でお金をおろし忘れて連休になって困っていたら、ある方がお餅をくれて、その中に二千円が入っていました。そのお餅の入った袋が、私が出発した時に買い物をした高野山の店の袋なんです。お大師さんに助けられた様な気がします」という。まさかお大師さんが後をつけてきて見守ったわけではなかろうが、不思議といえば不思議である。
 「困ったなあ。助けて欲しい」と思っているところに、助けてもらうと、人のありがたみが身に沁みる。それより「人のこころに助けられました」という言葉が美しかった。
 その一方で、毎日の様に悩み相談が昼間続いた。その内容がみんな似ている。
 「どうも、私のことをあれこれと悪口を言っている様に思えてしようがないのです」と。「そんな気がするのですか」。聞いてみると、昔からの村で、決まり事をこなしていないと人間関係がうまくいかないらしい。村八分という言葉を思い出した。仲間からはみ出しそうになると被害妄想とやらになるのかなあと考えさせられたが、そんな相談が続いた。
 まわりから何となくはみ出して孤独になっている時、何気ない言葉が傷つける。「もうこれ以上がんばれない」と思っている時に「もっとがんばれ」。「私の悪口を言っているのかな」と思っている時に「あんた、どしたんよ、これも分からんの」。心の向きと言葉の関係は難しい。
 お四国のお遍路さんへのお接待文化は、難儀ながらも前向いて歩き続けるお遍路さんへの思いやりの心と言葉と行動が、人を励まし、人と人とをつないだから脈々と続いてきた。
 その一方で、もっともっとつらい孤独な気持で、心がこもっている時や人もある。その時の励まし方は難しい。励ましたらもっともっと落ち込む可能性が高いからだ。現代の心の闇は、人間不信へと進んでいるだろう。当たり前の受け止め方では、受け止め得ない心の痛みが広がっている様に感じる。「渡りに舟」の励まし一辺倒では、人と人との絆ができにくくなっているのだ。
 出会いを大事にするとは、相手をしっかりと受け止める事。受け止めるとはしっかりと理解する事。そのためには、謙虚さと、思慮深さと、広い経験が要る。
 とりあえず、経験の未熟な時には、未知の痛みに対する敬虔な謙虚さであろうか。
0706弘法大師誕生祭あるお遍路さん
弘法大師誕生祭あるお遍路さん
 お大師さんの誕生祭は、皆さまと共に厳かに法要が出来ました。
 だれしも誕生の時には、「おめでとう」と喜んで子どもの誕生を祝います。「ようこそ、この世に来たね」というのでしょうか。お大師さんの願いは、その皆に祝福されて生まれた生命が、どの命も尊く、幸福になることだと思います。そのようにお大師さんは万灯会の願文に書かれています。

あるお遍路さん

 最近三組のお遍路さんとホームレスの方が泊まっていかれた。
 その内のお遍路さんは、東京の方で「九州に自殺に行くが果たせなかった」という。その後、二号線を岡山まで歩いて行く途中の寺々で厚情をもらってなんとか口過ぎをしてきた話す。
 四国遍路を始めようとするが、何かそぐわない気持が起こり、引き返しつつやっとここに辿り着いたという。途中、道々の方々にはお接待を頂き、雨露を凌いだり、食事をすることができたという。八十八のお寺はどうも近寄り難いというか、冷たい感じがしてとっつきにくかったという印象を吐露されたのには痛い思いをした。
 とはいえこのお寺では声をかけたい気持になりましたというので一安心もした。
 「丸亀で途方に暮れていた時、あるおばあさんの人が『ちょっと待っていなさい』といって、しばらくして返って来るとズボンとか下着とかを下さり、三万円をもらった時には、・・・・」と話しながら涙を流されたのには、やはり余程のことがあったのだと感じ入った。
 その方は、石手寺に数日泊まられ、托鉢もしてある朝、ほんとに明るいお顔で微笑んで「これから出発いたします」と告げられた。私は思わず「困った時にはまた来てください」とお答えした。
 その後、お遍路さんは門々でお経を上げて布施を頂きながらご縁を得たいと語られていたがどうしたものか案じられる。
 さて、もう一組の方は、夫婦の方であったが、何がしかの理由があって家を出たという。「松山の福祉事務所に行けばなんとかなると聞いてきましたが、そうもいかないようで、今夜一晩何とかしてほしい」と言われる。
 はて、どうしたものか、このような話は良くあるのだが、信用して良いものか疑うべきものか、思案しながら聞いていたが、明日もう一度尋ねていけば何とかなるといいながらやはり涙を目に浮かべておられるからいたしかたない。
 一晩と三度のご飯を用意してあげてお接待をした。翌朝は、お二人で丁寧に庭を清めておられ、その姿を見るとお接待に適う方と見受けた。昼飯の後、私の来るのを玄関でずっと待っておられ、「御挨拶をしてからと思いまして」とにこやかに礼をして立ち去られた。
「何とかなりますか」と労うと「当てがありますから」と元気そうに振る舞われた。
 人生は遍路なりという。何の意味であろうか。遍路は死に装束のあてのない旅である。死を覚悟で、他人さまのお接待に縋り、何時果てるか知れぬ身を明日へと運ぶ旅である。苦難の中に浮き沈みしながら、明日を繋いでいく旅という意味であろうか。
0709弘法大師大楽金剛 あるお遍路さんA
弘法大師大楽金剛

先月号に
天高く
大楽の声
降誕会
落見千高さん
という俳句が載っていた。六月十五日弘法大師の誕生祭の風景である。
 この時、僧侶の面々は理趣経を節を付けて読み上げる。時には重厚な声で、ある部分はしめやかに、そして経のところで、朗々と晴れやかに声高に声を響かせるのである。
 それはまさに、大楽金剛の世界を現している。大楽金剛とは、仏さまの最高の覚りが大安楽でありその偉大さは何にも崩れないという意味である。つまり幸福の最高の境地が現実化している楽土である。
 この時、僧侶は心に仏さまが集い、信者が集い、あらゆる善男善女が集まって、その心は清浄であり、皆戒律を守り、なんともいえない良い香り、美しい飾り、心地よい音楽、最高の雰囲気と、最高の心と体に満ちあふれ、私たちは仏さまの心となって覚りを楽しむのである。
 その境地を開門するのが「大楽金剛サマヤー」という高鳴りの声である。
 ここに生きとし行ける者が幸福であれとの願いがあり、その実現の喜びがある。
 弘法大師は「心身に皆、響きあり」と言われている。世界と私たちの心には活動がある。互いに響き合う調和がある。その響きが調和し重なり合い、安楽をこの上なく増大していくのである。その境地、三昧が大楽金剛世界である。
 この境地を我が身と心に実現し、大楽をわがものとし弘法大師に差し上げるのが誕生の祝いである。それは弘法大師を愛でることであり、私たちが弘法大師の教えを守りその涅槃寂静と慈悲三昧を手にする瞬間である。

あるお遍路さんA
 前回紹介したおへんろさんは、また石手寺善根宿へやってこられた。何日か逗留して体を休めてまた旅立った。
「いつまでもこのままではいけないと思っています。何周かしたら、食堂かなんかを始めたい」そう語ってまた出て行きました。
「何か手助けをできれば」と声をかけましたが、しばらくお泊めして食事の接待をするほかすべはありません。
 そのようなおへんろさんは何人かいます。何度接待所にお誘いしても断られ、何年か越しで、お掃除もされそののち宿泊されたかたもあり、その方は、今は年に二度来られては一週間ばかり泊まっていかれます。就職はしたけどまた辺土に身を委ねている方も居ます。
 そういえば、前々回のお四国参りの時、高知の善楽寺での話し。隣の土佐神社で発見された書き付けにこうあったそうです。
宿なくしてこの宮に泊まりし候 書き置くも形見となれや筆の跡 我はいずくの土となるとも
元亀二年(一五七一)
 古今、困窮の極みに有って、四国遍路に身をゆだねるも、接待もほどほどに泊まることもままならず、生死の淵に浮き沈みする様は哀れとしかいいようがありません。
 私たちは皆同じく、衆生として生死の苦海に漂うと弘法大師は言われますが、それにしても、心を痛めつつもいかんともしようのないことが他人に起こる時私たちはどのようにすべきなのでしょう。
 近頃、浮浪の友人とも出合うことは、楽しくもあり悲しくもあり。
0710平和を愛するビルマの僧侶と連帯を お四国まいり被災者とともに
平和を愛するビルマの僧侶と連帯を
 この地球に平和は何時やって来るのだろうか。
 ビルマ(ミャンマー)で多くの僧侶人々そして長井さんが殺された。白昼、軍隊は圧倒的な武力で人々を殺した。そして多くの僧侶を拘束し暴力を加えている。
 何万人という僧侶が立ち上がった。人々の貧困と暴力の恐怖を見かねてのことである。
 私はスマトラ沖地震の救援でタイ南部に毎年行っているが、そこのナムケンという町や周辺で最底辺に暮しているのはビルマの人々である。出稼ぎや難民である。どうしてタイに来るのかと問うと、「ビルマに帰ったらもっとひどい」そして「一家は米国に亡命している」という。
 貧困や暴力を逃れて多くのビルマ人がタイに来ているのだ。そしてその多くは、タイの人々の下働きをしている。きつい仕事、低賃金の仕事をしている。(同行二人今月号参照)
 その原因は民主化を約束していながら履行しない軍事政権にあり、自由を求める人々を想い僧侶は立ち上がったのだ。
 非暴力で僧侶は行進した。まさに不殺生と慈悲の行であろう。そして悲劇が起きた。彼らは死を覚悟して慈悲行をしていたのだ。
 私たちは、いま、彼らに連帯しようではないか。
 平和を愛する同胞として連帯したい。
 日本国憲法の前文に記されている。「私たちは平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」平和を勝ち取ろうと決心すると。
 どの国にも、平和を愛する人々とそれ以外の人々がいるだろうか。否々、誰の心にも平和を愛する心と好戦的な心があるだろうか。
 私たちは、私たちの中にある平和を愛する心を鼓舞しよう。そして各々に備わる平和を愛する心と心が手をつなぐことを始めよう。


お四国まいり被災者とともに
 毎月四国参りに行っているが、今日は阪神震災の被災者の方々とともに鶴林寺さん方面に回った。
 震災もあの日から早十二年以上が経つ。直後より神戸方面を広範囲に尋ね、知己も多い。バスは新たなボランティアの人が多かったが、見慣れた人も多い。その意味ではさながら同窓会という表現が当たっている。
 震災の後、各地で「般若心経」を唱え上げた。鷹取の焼け野が原、そして太鼓の連中とともに祈りの曲に合わせて唱えたことは数知れず、中央仮設や宝塚の中山台や仮設地域や、西宮の仁川地滑り地区、また、石手寺の境内でも唱えた。車中、そして本堂大師堂で般若心経を唱えるうちに、それらの思い出が重なり、人々に聞いた痛みが、自分の記憶の痛みと重なり、そして溶けたり固まったりしながら、時間を遡及するのであった。
 一つのものが融けて、あたらしい課題が起き上がってくるというのであろうか。
 各地を回ったが、決して納得のいくボランティアではなかった。被災者の痛みを追いながら、何ともできないことの連続がある。
 私たちはお遍路さんの歴史の底辺の生きにくさを語りながら、震災の人々がお四国病院で回復する様も語った。
 帰途、みなさんに今日の感想をもらった。その中で、私と同年代のお母さんだろうか。
「私は、二年前に子どもを亡くしました。相談に乗ってほしい」と。
 またあらたなお四国参りが始まると思った。
0711一年をふりかえる 不登校の子が学校に行った
一年をふりかえる

 人間のすばらしいところは「考える」ということでしょう。弘法大師も「思いが先にあり」と言われています。
 過去を思ってはくよくよし、未来を思っては不安がるということもありますが、あれこれと思いを巡らすことが人間の特権であると思います。人間は過去をふり返り、また未来を予感することができるのです。また、ここにいながら地球の裏側のことを想像したり、災害があればバングラディッシュやタイのことを心配したりすることもできます。心はある意味で自由自在といえまず。
 そういえば観音様は「観自在菩薩」といいます。観る事が自由自在だというのです。あらゆることを考えられるということでしょうか。あらゆるものが見えるというのでしょうか。そして、観音の「音」とは私たちの声の事です。観音様には私たちの声が自由自在に聞こえるのです。そしてその私たちの声とは、特に私たちの苦しみや悲しみの声です。観音様は深い慈悲のこころによって、私たちのつらいことを観てくださっている、そして助けて頂けるという意味です。
 そして何より人間はその観音様の自在力の一部を持っているのです。
 それは
1、慈悲の心で観るということ
2、そのために無心になるということ
3、よく反省をするということ。行ってきた事をかえりみること。
 でしょう。
 1、は「人の痛みを知る」ということ。その心で世界の出来事を観ることです。
 2、は自分の損得でものを見ないことです。自分の煩悩を離れ、仏さまの心で観ることです。煩悩とは「むさぼること、いかること、くよくよすること、おごり高ぶること、こだわること・・・」などです。 そして3、は、良く自分自身を知ることです。論より証拠といいます。自分の足跡こそ自分の思いと行動を明らかにしています。さて、昨年もこのようなことを書きました。そして私もみなさんも、一年の抱負というものを昨年に行ったはずです。万灯会では幾つかの願いと決意も行ったでしょう。その昨年の思いは遂げられたでしょうか。そのための十分な努力もしたでしょうか。
 それはこの一年の足跡を振り返ってみれば一目瞭然です。問答無用に明確なのです。お釈迦さんは百年をだらだら生きるより、一日を良く生きよと言われます。その意味は、良く考えて行動した一日は私たちの徳になるが、怠惰な積み重ねは意味を成さないということです。
 年末の一日、しっかりと一年をふり返り、自分を見つめ、自分をあらため、自分を大事にしていこうではありませんか。そうすれば、必ず良い年、良い日々が到来します。

不登校の子が学校に行った

 約三年間学校に行かなかった子が学校に行くようになりました。その子は、一カ月あるお寺にやって来ました。そしてそこで御札づくりを手伝い、そして一カ月目に「学校に行くか、お寺に行くか」といわれて学校に行くようになりました。
 そのお寺では、朝は掃除をし、お勤めをし、御札をつくり、英語や数学の勉強もしました。「お寺で、いろいろな人と話をするのが楽しい。家にいてひとりぼっちよりはいい」といいました。お寺の人もその子が今は来なくなって淋しいほど、その時も今もその子が来るのを楽しみにし、温かくまた厳しく迎えました。
 何かがその子を変えたのは間違いありません。
 温かく迎えられたから。お寺には人生の甘いも辛いも知った多様な人がいたから。引きこもりも、挫折者もホームレス経験者も、鬱症の人もいたから。毎日朝起きる訓練が自然とできたから。勉強を教えてもらいコツが分かったから。
 結局理由は分かりません。私は、私の心配の仕方が良かったと思い、スタッフは勉強を教えたのが良かったと思い、お父さんは家から追い出したのが良かったと思い、お母さんは大事にしたのが良かったと思い、掃除を教えた人はそれが良かったと思い、群盲象を撫でるように、それぞれの人がその理由を想像しながら、喜んでいます。
 人間は不思議なものです。ある会社では、ある人間を追い出すことに腐心しているのに、ある寺ではひとりの子どものためにみんなが心をくだき励ましたり怒ったり、教えたり迎えたりしました。
0712年覚えおへんろ 寒空のホームレス
年覚えおへんろ
 年の瀬、何かと気ぜわしい。大掃除をし、重ね餅と橙と昆布と鯣と干し柿を用意してしめ縄も用意せねば。
 橙は代々家族が幸せなように。昆布はよろこぶ、するめはながーく元気で、柿は実り多いことを祈るのだそうだ。家族が揃って、あるいは仏壇の前で亡き愛しい人と新年の最初をしっかりと過ごせばその家には福が転がり込むに違いない。
 さて、初詣も直ぐに控えた三十日、石手寺では平和万灯会の種火づくりも兼ねてメモリアルウォークを行っている。今年で十年が経つだろうか。
 朝八時に石手寺を出発して岩屋寺へと向かう。岩屋寺さんは岩場の難所でお不動さんのお寺。岩山そのものが御神体とも思われる霊場である。新雪を踏みしめた日も二度あったが厳粛に身が清められる。
 ご本堂で一年をふり返る祈りをしてお遍路行は始まる。そして大宝寺、浄瑠璃寺、八坂寺、西林寺、浄土寺で休憩。午後一時から浄土寺集合して繁多寺、石手寺へと歩く。
石手寺には午後四時に着くだろうか。
 温故知新という。忘年会ともいう。悪いことは忘れて良いことを引き継ぐともいう。
 先ずなすべきは一年をふり返ることであることは間違いない。人間を人間らしくするのもまた私に引き戻すのも記憶というものである。忌まわしい記憶というのもあるが、記憶を更新していく事で人間は叡知を獲得してきた。一年をふり返り自分の足跡を見れば、自分の考えも行いも本心も見えてくるだろう。
 あんなことを一年前には抱負として懐いてこんな事ができた。またはあんな事を言い放ったが本気ではなかったなどとである。
 人間は自分の行為の足跡を見て自分の正体を思い知るのであろう。半日あるいは一日歩を進めながら、また友と語らいながら、お坊さんの戯言も聞きながら365日を辿ってみるのも一興である。
 良く思うものは良く行い福徳を得ると弘法大師は言われる。

寒空のホームレス
 汚い宿だが歩いて来られたおへんろさんは「良く眠れました」と深々と礼をして次の札所へと向かわれた。
 「歩いて何かいいことはありましたか」と問うと
 「当たり前の事が当たり前でないことが分かりました」と答えられた。
 「駅前で眠ると煩くて眠れません。公園では恐ろしくて起きていました。山の中では恐ろしさと虫刺されで大変でした。屋根があって囲まれていて、布団が用意されているという事の有り難みがよく分かりました。人がつくりあげた有り難みを大事にして感謝して生きていきたいです」という。
 さて、こんな時も、師走の寒さに身を曝しながら野外に寝起きしている方々がいる。何重にも服を重ね着して、寝袋にも入らずに夜を明かしている。
 「お堂に泊まっていきませんか」と声をかけると
 「恐ろしいから街へ行きます」と私より少し年上の女性は断った。彼女には以前福祉を世話したが継続を彼女から断ち切ったようだ。
 そんな哀れな人びとが大勢いる。こんなことを書きながら暖房器具に囲まれている私たちは人でなしかもしれない。古人はそのような行きずりの人びとをおへんろさんとして匿ったようだ。我が家を善根宿とした人もいれば、村でお接待をした話しも語り継がれている。しかし、私たちの心がその志を継いだものやらどうやら分からない。
 衛門三郎の話は、薄汚い悪臭を放つ乞食遍路を追い返して罰が当たる話しでもある。乞食ものにお接待をしなければ罰が当たるという話である。お遍路をすれば罪障が消えるというのは後談である。
 善根宿を何度も断られた淋しいへんろ人は身を崩していく。善根宿にありつけた運のよい若者は身なりを保って弘法大師となった。現代でも僧侶となって活躍している御方もある。
 身をやつすか身をあげるかは、善根の巡り合わせ次第だというとあまりにも不憫であろうか。
 弘法大師十八才。「進退ここに窮まれり。石槌に登りどんくりを食らい雪を枕に空を屋根とし雲を家壁として決して寒いものかと、孤高の故人をあざ笑った」日々から千二百年が経つ。
 二度と私のような辛酸を舐める人が居ないようにとお誓いされたのが室戸即ち死の扉の前での「谷響きを惜しまず明星来影す」であった。
 「人の世に生まれてのさまざまな挫折や苦しみは無駄ではなく、それらが私の前途を鼓舞して止まない」の深意である。