08新聞
0801大わらじ 節分厄よけ福徳祈願 阪神震災被災者の方々と おへんろ 追悼と復興の架け橋
0802みんなで福徳祈願 四国参り えひめ丸供養
0801大わらじ 節分厄よけ福徳祈願 阪神震災被災者の方々と おへんろ 追悼と復興の架け橋
 四年に一度の大わらじの奉納が行われました。みなさんの健康や幸福の祈りがこもったわらじです。何十人の金剛講信徒会の人々が四日かかって作り上げました。人々の善意と努力の賜物です。
 わらじには金剛力士の力強い健康健脚の力がこもっています。
 あらゆる人々が幸福でありますように、健康でありますようにという気持が籠もっています。
 古いわらじと同様、何百万人という善男善女が仁王門を通り、このわらじに触れてその力を受け取っていかれるでしょう。そしてまたその人々の善意をこのわらじが受け取りそのわらに籠めていくことでしょう。
 祈りの数だけ人の数だけ、深く清い祈りが籠められていくものと思います。
 わらじづくりにご努力された方々に心よりお礼を申し上げます。

  二月三日は、節分祭。この日は旧暦の立春前日に当たります。この日、古来より新年の運気が変わると言われます。この日に心を清め正しく祈願すれば運気を良くし、良い世界の流れと、良い自分の心と体の力を得て、一年が無事で、福徳にあふれたものとなると言われます。
 みなさんとともに、この日、仏菩薩とともに私たちの善意を合わせて祈願し、一年をみんなが幸福な年としたく存じます。
よろしくご一緒に祈願をお願いいたします。

阪神震災被災者の方々と
おへんろ
追悼と復興の架け橋

 阪神震災で心に傷を負った方々とお遍路ができないものか。その想いが昨年実り、今年の震災の日に石手寺にお参りしてもらうこととなった。
 私は、震災で多くの人と出会った。人と人が出会う。簡単そうで簡単でないことだ。私たちは長い人生で多くの人と出会うけれど、その内の何人と心の襞を触れ合うことができるだろうか。家族、友人、仕事仲間、同じ志を持つやから、同じ信仰のともがらなど。
 生きていることはそんなに簡単なことではない。却って生きているとつらいことの方が多い。その困難に大小はある。それでも困難をどのように受けとめ、あるいはひとりで受けとめ、あるいは誰かと分かり合って受けとめ、その中で、困難は生きる意味へと変わっていく。
 震災では、孤独な老人、何もかも失った人、障害者の家族を守る人、最愛の子どもを失った親など多くの悲しい人々と出合った。この悲しみは決して癒されることはないだろうと思う痛みと出合った。
 助け合いと人はいう。しかし死んだ人はかえらない。死んだ人々は生き返っては来ない。助け合いでできる部分は小さい。
 では心の痛みは癒せないのか。
 私はその一つの解決が遍路に在るのではないかと模索した。遍路は一日の行程ではない。何日もかけて晴れの日や曇りの日や、孤独な日や、打ち解けた日や、良い出会いや、悲しい出会いや、いろいろな出来事からなりたつ。そして長い時間を必要とする。その時間と人々との出会いがひょっとして痛みを力に変えていくのではないか。そう期待した。
 私にとっては、様々な出来事の回想の時となった。般若心経をあげながらその時の光景が次々と湧き上がってきた。
 孤独なお爺さん。元気なおばさん。かわいい子ども、得たいのしれないやさしいおじさん。回想は傷口を開けることだと誰かが言った。そしてその傷口が栄養を取り込んで元気のもとともなると。
 遍路ではまた新たな悲しみの話しも聞いた。そしてまたあるく日を希望に繋いでいる。
 十七日は本堂で八十人が集まりお経をあげた。
 死者が目の前に在った。今も孤独や生活苦と戦う人の姿が現前に在った。助け合う人々の善意も眼前に有った。
 みんな幸せでありますようにみんなそのように祈っていた。
0802みんなで福徳祈願 四国参り えひめ丸供養
みんなで福徳祈願
 節分の日。この日に祈願をきちんとすれば一年が良い年となり災厄を逃れられるという。
 この日のためにお餅を十八俵つき、大豆を二十六俵煎る。ほとんどを信者さんが奉仕で行う。だいだい九日間で九百食の昼飯をつくる。それもみんなの奉仕でつくる。毎日六十人から百人の人がつめかけ、大賑わいである。
 「私は餅を切る」「私は餅を運ぶ」「私は捏ねる」「私は豆を入れる」・・・という具合でみなさん自分の持ち場を決めている。そして私たち寺のものが知らないことを知っていて巧くやっていく。「石手寺は自分たちのお寺だ」というわけである。
 そもそも餅や豆は、「実りをみんなで分け合おう」ということで始まった。餅はみんなで分け合って頂こうというのである。餅も豆もみんなの力が合わさってできた共同作品である。ひとりのものではない。独り占めしてはならないのである。
 みんなの力が加わって元気のもとができていく。これを食したなら必ず元気になる道理である。
 みなさん奉仕された方々に心から感謝を申し上げます。
また、ご多幸を祈念いたします。

四国参り

 今年も二十二日第一回目のお四国へ行きます。逆打ちです。逆打ちとはお四国を右回りではなく左回りで回る仕方です。
 衛門三郎は弘法大師を追って四国遍路に出ます。最初のお遍路さんといわれるものです。汚い旅の僧を追い返した衛門三郎はその後八人の子を失い、失意の中、ただただその僧を追って家を捨てます。四国を回ること二十回、ついに逆に回り焼山寺で倒れ死にかけます。そこへかの僧が現れて石を渡すという話です。
 その衛門三郎が最後に逆に回ったことから、逆打ちは意味があるとされるのです。逆打ちは反対向きに回るわけですから人と出会うことも少なく、淋しい旅であったろうと思われます。
 しかしながらそもそも、弘法大師こそが青年時代、二十歳頃に四国を遍歴したのがこの左回りでした。徳島の那加川から太龍岳へそして雲辺を経て石槌へ登ったことは弘法大師ご自身が書き残している通りです。その後弘法大師は室戸に
「谷響きを惜しまず明星来影す」と嘆ずる訳です。それまでの弘法大師の四国遍路行は「進退ここに窮まれり」と書かれているように、苦渋に満ちたものでした。ひょっとすると衛門三郎に出てくる乞食の僧は正にその弘法大師の青年の姿であったかもしれません。
 薄汚い僧とは、弘法大師の発心前夜の苦しみの形相でなかったのか。絶望にくたびれはて薄汚く身をやつした姿は弘法大師みずからも著書「三教指帰」に記しているところです。
 その弘法大師を衛門三郎は追っ払った。
 ところが、私たちこそ現代の衛門三郎ではないと誰が言い得ましょうか。ある夜、薄汚い旅の僧が門口にうずくまっているとして、果たしてだれが手厚く善根宿を設け得るでしょう。
 そんなことからも、いかに逆打ちが尊いものであるかが推察されるのです。

 えひめ丸供養

 二月十日、午前八時四十五分。えひめ丸が沈んだとされる時刻に私たちは今年も追悼の供養をした。荒海に沈んだ九人の気持を考えると胸が締めつけられる。
 御詠歌の方々が多く来て頂き、供養の御詠歌の流れる中で供養は始まった。
 供養とは、亡き人の事を考える事である。それは亡き人の声を今に聞くことであろう。
真実は語られているか。事故の防止はなったか。
 それに対して私たちはしっかりと応答えることはできない。何故なら、十分な解答が得られないままに、和解という形で過ぎ去っていくからだ。
 潜水艦の一般人を乗せた遊覧は続いているし、利得のために行った数々の問題は隠されたままだ。
 遺族の方から手紙やお供物が来た。何とかしたいという想いはお経の声となって届いてほしい。みんなで
福徳祈願四国参りえひめ丸供養