わたしたちは徴兵制、戦争国家にすすむのか
不殺生戒
私のように彼等は生きている。彼等のように私は生きている。
私と彼等は同様だと思って、殺してはならない、殺さしめてはならない。
(あるいは、「母にとって子はいとおしい、その気持ちを考える時、人は殺せない、殺させてはならない」)参考
鉄砲を担いだ仏教徒
しかしながら、アジア太平洋戦争において、僧侶は鉄砲を担ぎ、人を撃った。その時、不殺生戒は、人を痛める歯止めとならなかった。
徴兵制
今日、先の大戦の反省は解かれ、日米同盟のもと、「集団的自衛権」が憲法九条を変えて、取り入れられようとしている。(注1)
仏教徒が不殺生戒を守ろうとするなら、そもそも、集団的自衛権は認められない。
恐ろしいことには、他人に「殺してはならない」と説くなら、私たちは、そのことを自衛隊員に説くべきであるし、自らそのことを背負う必要がある。
それは、取りも直さず、徴兵制という問題である。
ならば、まず、私たちは、
個々人の、戦争に参加しなくて良い、権利=平和的生存権を、確立すべきでなろう。(注2)
次に、日本国が、集団的自衛権の名のもとに、戦争をしないことを確立すべきである。
それは現憲法九条を、守ることになる。
補足 自衛隊・自衛権について
だれしも、誰かが攻めてきた時の防衛については、心配であり、だから、専守防衛の範囲内では、自衛隊、自衛権が認められてきたと言える。
誰かが家に進入し殺そうとしてきた時に、正当防衛はあり得ると答えるだろう。
この問題については、個々人で意見が分かれるだろうし、個人の領域であろう。また国家において防衛力を持つことに関しては、多くの人の合意で決定すべきだろう。
この件に関しては、私は私の意見を述べるに留めるのが良いだろう。
但し、他国へ先制自衛として、先制攻撃、他国内の武力破戒、または、必要以上の武力保持によって他国を脅かすことは、上記不殺生戒に照らして認められない。
注1、国会の多数を占める自民党、民主党共に党首が、明言している今日、国民一人一人が人が人を殺すということを深く思うべきである。
注2、国民一人一人は、国家の戦争に巻き込まれない自由を有すると考える。例、イラク戦争は大量破壊兵器もなく、先制攻撃の理由もなく、全て大統領の情報操作または誤読によって行われた大義なき戦争であることがパウエル氏の証言などよりも明確になった。大統領による大統領の戦争であることは明白。戦争を引き起こす権利や、戦争に国民を駆り立てる権利はどこにもない。逆に、人間として殺し合いから自由である権利こそ確立していくべきである。そのためには、国際刑事裁判所の設立が急務。日本と米国のみ主要国内で反対している。また、仮想敵国ではなく、地域の集団安全保障や、人間の安全保障の考え方が必要であろう。
この時代に、軍拡や日米同盟に基づく二国のみの自衛軍事行動規定=集団的自衛権の乱用は時代後れである。