| あの世はあるかないか問い | |
| 仏教は幸福論である。というのは、仏教の目的は涅槃、平安、満足である。 | |
| 武器を持つ者たちに対して、恐怖と対立からの自由と幸福を説く | |
| 論争し合う者たちに対して、確かでない見解への執着の停止と、平安の優先を説く | |
| 652 行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。行為によって司祭者ともなり、行為によって王ともなる。 654 世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。−−進み行く車が轄に結ばれているように。 655 熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、これによって<バラモン>となる。 650 生まれによって(バラモン)となるのではない。生まれによって(バラモンならざる者)となるのでもない。行為によって(バラモン)なのである。行為によって(バラモンならざる者)なのである。 650 生まれによって(バラモン)となるのではない。生まれによって(バラモンならざる者)となるのでもない。行為によって(バラモン)なのである。行為によって(バラモンならざる者)なのである。 656 三つのヴェーダ(明知、宿命通・天眼通・漏尽通)を具え、心安らかに、再び世に生まれることのない人は、諸々の識者にとっては、梵天や帝釈[と見なされる]のである。ヴァーセッタよ。このとおりであると知れ。」 |
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| 935武器を手にすることによって恐怖が生じた。見よ、人々は互いに敵対し合い殺し合う。936 水の少ないところにいる魚のように、人々が慄えているのを見て、また人々が相互に抗争しているのを見て、わたくしに恐怖が起った。937世界は不安定で、あらゆる方向へと動揺している。私の良き居場所を探したが、苦しみのない場所はなかった。938 結局、人々は敵対し合うのを見て、わたくしは苦痛を感じた。その時、私は人々の胸に見がたき煩悩の矢を見た。 939 この(煩悩の)矢に貫かれた者は、あらゆる方角をかけめぐる。この矢を抜いたならば、(あちこちを)駆けめぐることもなく、沈むこともない。940世間における諸々の束縛の絆にほだされてはならない。諸々の欲望を究めつくして、自己の安らぎ(涅槃)を学べ。 |
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| 837「私はこのことを説く」ということが私にはない。内側の平安(ajjhattasanti)を私は見た。845聖者とは平安を説くものである(santivaada)。 | |
| 847九マーガンディアgood 想(意識されたものsannaa)を喜ばない者には、束縛はない。般若(pannaa)によって解脱した者には、愚昧(moha muh/loose conciousness)がない。想と見を握るもは、衝突しながら世間を彷徨う。 意識されて固定化されたものに執着しない者は、苦に囚われない。束縛から解放されるためには、常に意識の形成以前の原体験を意識化するという作業をし続けることが必要だ。そうすれば、苦しみに曳かれるということがない。意識化の途中で、固定観念や固定感覚を形成し、固まった見方に陥るもは、他者と対立しながら世間に在って苦しみ合う。 |
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| 11争闘862kalahaa/battle,vivaadaa/dispute口論,parideva/lamentation,sokaa/grief,sahamaccharaa/greedy
selfish,maana,atimaana,sahapesunaa(8煩悩kilesa)←piyaa←chanda/wish,will←saata-asaata→ruupa→ 人々は戦う、戦ってはそれぞれの言い分を持つ。死の悲しみに痛み、どうすればよいかと苦悶する。貪欲による諸物の独り占め、栄華による慢心、思い上がり、そして他者への攻撃。あるいは、勝利して虚栄心を肥やし、自分を頼み、有頂天となって、他者を排撃する。戦いと、言い分と、悲嘆と、煩悶と、虚栄と、奢りと、高慢と、排他攻撃。それらは何を原因として起るか。 |
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| 855欲望を捨てきっていて平静であり、常に目覚めていて(気をつけて思慮深く)、世間的に、他者と同等であると比較して思ったり、勝っている、負けていると、比較して一喜一憂しないならば、彼には煩悩が燃える事がない。856何かに頼る事のない、自立した者は、存在の理(法)を知って、何かに寄り掛かるということがない。また、生起しよう、消滅しようという渇望がない。857諸々の魅惑的存在の中に在って、欲しがる事がない人を、私は完全に安らかな人(upasato)と呼ぶ。彼には煩悩熾盛 (欲望の燃え盛りと苦しみ)の激流はない。彼を束縛するものはなく、彼は煩悩熾盛を渡っている。 | |
| 916一つ二つと存在を数えるその根っこ根っこは、「私がある」ということであり、その全てを制止せよ。内にある煩悩熾盛の全てを制御するために、常に目覚めて、学び続けよ。 919修行者は、内に於いて完全に平安(upasame)にあれ。他に平安(santi)を求めるな。内に完全に平安な者は、アートマンがあるとかないとかということがない(有我、無我)。 933nibbutiとはsantiと知って、ゴータマの教えに於いて怠るな。934なぜなら彼は、存在を克服していて、存在せしめられるということがない。他人から伝え聞いたのではなく、自ら証するダルマを見た。 |
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| 773生存の快楽に縛られている者は、自分の欲望(icchaa)が根拠でなのだから、解放されがたい。というのは、彼以外の誰も解脱を助け得ないのだから。 774魅惑的なものの中に在って、欲しがり、熱中し、溺れていて、それを捨てることができず、不安(visama)の中に住み浸っている。死ぬ時になって、「私は死んで後に何になるのか」と苦しみに襲われ悲嘆する。775だから今、大切に学べ。何であれ世間においてそのものが平安を破るものと知れるならば、その故に、平安を破る行いをしてはならない。というのは、賢明な者が、この生は短いと言うからである。 776そここの人々は、煩悩熾盛によって生存へとやってくる。そして世間において闘争し合っている。そして、死に向き合うや、愚かな人々は、嘆く。というのは彼らは、生存したい、あるいは生存したくないと、煩悩熾盛がなくならない。 777見るが良い。流れがなくなり、水が少なくなっていく中にいる魚たちのように、人々は、「これは私のものだ(mamaayite)」ということを太らしながら、闘争している。このように見て、「わたくし化(amamo)」しないようにしなさい。生存へのこだわりをなさないようにしながら。 |
| Dhp6 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。──このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。 |