カースト・ヴァルナ・ジャーティ・ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カーストは血統・種族による差別 ヴァルナは色(肌の色)=人種などによる差別 ジャーティは生まれによる差別 |
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インドインド便利帳より
また、こうした身分制度を認めているヒンドゥー教から逃れようと1950年代後半にはアンベード・カール博士を中心として仏教への一斉改宗が行われたりもしました。
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カースト その種類出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(カースト制度 から転送)
カースト、あるいはカースト制、カースト制度は、ヒンドゥー教にまつわる身分制度である。起元前13世紀頃に、アーリア人のインド支配に伴い、バラモン教の一部として作られた。基本的なカーストは4つにわけられているが、その中は更に細かく分類されている。 カーストという単語はもとポルトガル語で血統を表す。そこからインドにおける種々の社会集団の構造を表す言葉になった。 カーストの移動は認められておらず、また、カーストは親から子へと受け継がれる。結婚も同じカースト間で行われる。 そのように古い起源を持つ制度であるが、現在も法的な制約はないものの、人種差別的にインド社会に深く根付いている。
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カースト(身分制度)ヒンドゥー教の展開のなかで、カースト制度が強く指摘される。カーストは基本的な分類が四つあるが、その中には非常に細かい定義があり非常に多くのカース トがある。カーストは身分や職業を規定する。カーストは親から受け継がれるだけで、生まれたあとにカーストを変えることはできない。だたし、現在の人生の 結果によって次の生など未来の生で高いカーストに上がることができる。現在のカーストは過去の生の結果であるから、受け入れて人生のテーマを生きるべきだ とされる。 結婚も同じカースト間で行われることが多く、インドの多様な人種の中でも未だに人種の違いがはっきりと現われているのは、カーストが混血を妨げているからである。 他宗教に対して寛容なヒンドゥー教であるが、カーストに対しては寛容でない。他宗教はその現実的な影響力や力によりその扱われる位置がきまる。カースト制 は5千年以上もの歴史があり、何度か取り除かれようとしたものの、ヒンドゥー教とカーストの結び付きが強いためインドの社会への影響は未だに強い。 なお、外国人であっても日本や裕福なアジアの国や、ヨーロッパ、アメリカからの訪問者はその国の力が強いため、高いカーストと同様の扱いを受ける。 紀元前5世紀の仏教の開祖であるゴータマ・ブッダは、カースト制度に強く反対して一時的に勢力をもつことが出来たが、5世紀以後に勢力を失って行き、カースト制度がさらにヒンドゥー教として大きな力をつけて行き、カースト制度は社会的に強い意味を持つようになった。
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基本的な四つのカースト(ヴァルナ・四姓)とカースト以下の身分
未だに強い影響力をもつカースト制度であるが、下位のカーストやカースト外のアチュートであってもなんらかの手段で良い職業につくこともできる。スポン サーや自らの財力で国外に渡り、国外で教育を受け、更に実力を認められた後に帰国し、インド国内でも影響力を持ち続ける人々もいる。 アチュートの人々にヒンドゥー教から抜け出したり、他の宗教に改宗を勧める人々や運動もあるが、動きは弱い。そこには、長い歴史と深い心理的な記憶がある。
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他宗教からの改宗とカースト改宗してヒンドゥー教徒になることは可能であり歓迎される。しかし、そこにはカースト制がある。カーストは親から受け継がれ、カーストを変えることが出来 ない。カーストは職業や身分を定める。他の宗教から改宗した場合は最下位のカーストであるスードラに入ることしかできない。生まれ変わりがその基本的な考 えとして強くあり、努力により次の生で上のカーストに生まれることを勧める。 したがって、現在最下位のカーストに属する人々は、何らかの必要性や圧力によりヒンドゥー教に取り込まれた人々の子孫が多い。ヒンドゥー教は複数の宗教の 合体したものと呼んでも良く、元の宗教の現実的な力が強かった場合は対等に合体していったが、力が弱かった場合は、下位のカーストに取り込まれたり、異教 からの改宗として最下位のカーストに取り込まれた。 仏教がインドから衰退して行く過程で、仏教はヒンドゥー教の一部として取り込まれた。仏教の開祖のゴータマ・ブッダはヴィシュヌ神の生まれ変わりの一人で あるとされるが、彼は「人々を混乱させるためにやって来た」ことになっている。その衰退の過程で、仏教徒はヒンドゥー教の最下位のカーストに取り込まれて 行ったと言われる。ヒンドゥーの庇護のもとに生活をすることを避けられなかったためである。 また、イスラム教の経済力と政治力や武力による発展のなかで、ヒンドゥー教からの改宗者が多かったのは、下位のカーストから抜け出し自由になるのが目的でもあった。 |
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カーストの否定 | ||
607 これらの生類には生まれにもとづく特徴はいろいろと異なっているが、人類にはそのように生まれにもとづく特徴がいろいろと異なっているということはない。 611 身を禀けた生きものの間ではそれぞれ区別があるが、人間の間ではこの区別は存在しない。人間のあいだで区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ。 650 生まれによって(バラモン)となるのではない。生まれによって(バラモンならざる者)となるのでもない。行為によって(バラモン)なのである。行為によって(バラモンならざる者)なのである。 654 世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。−−進み行く車が轄に結ばれているように。 |
600 師が答えた、「ヴェーダよ。そなたらのために、諸々の生物の生れ(種類の)区別を、順次にあるがままに説明してあげよう。それらの生れは、いろいろと異なっているからである。 601 草や木にも(種類の区別のあることを)知れ。しかしかれらは(「われは草である」とか、「我等は木である」とか)言い張ることはないかれらの特徴は生まれにもとづいている。かれらの生まれはいろいろと異なっているからである。 602 次に蛆虫や蟋蟀から蟻類に至るまでのものにも(種類の区別のあることを)知れ。かれらの特徴は生れにもとづいているのである。かれらの生れは、いろいろと異っているからである。 603 小さいものでも、大きなものでも、四足獣にも、(種類の区別のあることを)知れ。かれらの特徴は生れにもとづいているのである。かれらの生れは、いろいろと異っているからである。 604 腹を足としていて背の長い匍うものにも(種類の区別のあることを)知れ。かれらの特徴は生れにもとづいている。かれらの生れは、いろいろと異っているからである。 605 次に、水の中に生まれ水に棲む魚どもにも、(種類の区別のあることを)知れ。かれらの特徴は生れにもとづいている。かれらの生れは、いろいろと異なっているからである。 606 次に、翼を乗物として虚空を飛ぶ鳥どもにも、(種類の区別のあることを)知れ。かれらの特徴は生れにもとづいている。かれらの生れは、いろいろと異っているからである。 607 これらの生類には生まれにもとづく特徴はいろいろと異なっているが、人類にはそのように生まれにもとづく特徴がいろいろと異なっているということはない。 609 首についても、肩についても、腹についても、背についても、臀についても、胸についても、隠所についても、交合についても、 610 手についても、足についても、指についても、脛につていも、腿についても、容色についても、音声についても、他の生類の中にあるような、生まれにもとづく特徴(の区別)は(人類のうちには)決して存在しない。 611 身を禀けた生きものの間ではそれぞれ区別があるが、人間の間ではこの区別は存在しない。人間のあいだで区別表示が説かれるのは、ただ名称によるのみ。 612 人間のうちで、牧牛によって生活する人があれば、かれは農夫であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。 613 人間のうちで、種々の技能によって生活する人があれば、かれは職人であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。 614 人間のうちで売買をして生活する人があれば、かれは商人であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。 615 人間のうちで他人に使われて生活する者があれば、かれは傭人であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。 616 人間のうちで盗みをして生活する者があれば、かれは盗賊であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。 617 人間のうちで武術によって生活する者があれば、かれは武士であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。 618 人間のうちで司祭の職によって生活する者があれば、かれは司祭者であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。 619 人間のうちで村や国を領有する者があれば、かれは王であって、バラモンではないと知れ。ヴァーセッタよ。 620
われは、(バラモン女の)胎から生まれ(バラモンの)母から生まれた人をバラモンと呼ぶのではない。かれは(きみよ、といって呼びかける者)といわれる。
かれは何か所有物の思いにとらわれている。無一物であって執著のない人、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。 621 すべての束縛を断ち切り、怖れることなく、執著を超越して、とらわれることのない人、──かれをわたしは<バラモン>と呼ぶ。 622 紐と革帯と綱とを、手綱ともども断ち切り、門をとざす閂(障礙)を減じて、目ざめた人(ブッダ)、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 623 罪がないのに罵られ、なぐられ、拘禁されるのを堪え忍び、忍耐の力あり、心の猛き人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 624 怒ることなく、つつしみあり、戒律を奉じ、欲を増すことなく、身をととのえ、最後の身体に達した人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 625 蓮葉の上の露のように、錐の尖の芥子のように、諸々の欲情に汚されない人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 626 すでにこの世において自己の苦しみの滅びたことを知り、重荷をおろし、とらわれのない人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 627 明らかな智慧が深くて、聡明で、種々の道に通達し、最高の目的を達した人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 628 在家者・出家者のいずれとも交わらず、住家がなくて遍歴し、欲の少い人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 629 強くあるいは弱い生きものに対して暴力を加えることなく、殺さず、また殺させることのない人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 630 敵意ある者どもの間にあって敵意なく、暴力を用いる者どもの間にあって心おだやかに、執著する者どもの間にあって執著しない人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 631 芥子粒が錐の尖端から落ちたように、愛著と憎悪と高ぶりと隠し立てとが脱落した人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 632 粗野ならず、ことがらをはっきりと伝える真実のことばを発し、ことばによって何人の感情をも害することのない人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 633 この世において、長かろうと短かろうと、微細であろうとも粗大であろうとも、浄かろうとも不浄であろうとも、すべて与えられていない物を取らない人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 634 現世を望まず、来世をも望まず、欲求もなくて、とらわれのない人、──かれをわたしはバラモンと呼ぶ。 635 こだわりあることなく、さとりおわって、疑惑なく、不死の底に達した人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 636 この世の禍福いずれにも執著することなく、憂いなく、汚れなく、清らかな人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 637 曇りのない月のように、清く、澄み、濁りがなく、歓楽の生活の尽きた人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 638 この傷害・険道・輪廻(さまよい)・迷妄を超えて、渡りおわって彼岸に達し、瞑想し、興奮することなく、執著がなくて、心安らかな人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 639 この世の欲望を断ち切り、出家して遍歴し、欲望の生活の尽きた人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 640 この世の愛執を断ち切り、出家して遍歴し、愛執の生活の尽きた人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。 641 人間の絆を捨て、天界の絆を超え、すべての絆をはなれた人、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。 642 <快楽>と<不快>とを捨て、清らかに涼しく、とらわれることなく、全世界にうち勝った健き人、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。 643 生きとし生ける者の生死をすべて知り、執著なく、幸せな人、覚った人、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。 644 神々も天の伎楽神(ガンダルヴァ)たちも人間もその行方を知り得ない人、煩悩の汚れを減しつくした人、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。 645 前にも、後にも、中間にも、一物をも所有せず、すべて無一物で、何ものをも執著して取りおさえることのない人、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。 646 牡牛のように雄々しく、気高く、英雄・大仙人・勝利者・欲望のない人・沐浴した者・覚った人(ブッダ)、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。 647 前世の生涯を知り、また天上と地獄とを見、生存を減し尽くしに至った人、──かれをわたしは(バラモン)と呼ぶ。 648 世の中で名とし姓として付けられているものは、名称にすぎない。(人の生まれた)その時その時に付けられて、約束の取り決めによってかりに設けられて伝えられているのである。 649 (姓名は、かりに付けられたものにすぎないということを)知らない人々にとっては、誤った偏見が長い間ひそんでいる。知らない人々はわれらに告げていう、『生れによってバラモンなのである』と。 650 生まれによって(バラモン)となるのではない。生まれによって(バラモンならざる者)となるのでもない。行為によって(バラモン)なのである。行為によって(バラモンならざる者)なのである。 651 行為によって農夫となるのである。行為によって職人となるのである。行為によって商人となるのである。行為によって傭人となるのである。 652 行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。行為によって司祭者ともなり、行為によって王ともなる。 653 賢者はこのようにこの行為を、あるがままに見る。かれらは縁起を見る者であり、行為(業)とその報いとを熟知している。 654 世の中は行為によって成り立ち、人々は行為によって成り立つ。生きとし生ける者は業(行為)に束縛されている。−−進み行く車が轄に結ばれているように。
655 熱心な修行と清らかな行いと感官の制御と自制と、これによって<バラモン>となる。 656 三つのヴェーダ(明知)を具え、心安らかに、再び世に生まれることのない人は、諸々の識者にとっては、梵天や帝釈[と見なされる]のである。ヴァーセッタよ。このとおりであると知れ。」 |