この世の甘露
 お釈迦さんは、晩年ヴェーサーリーの町で、「アーナンダよ、このヴェーサーリーの町は楽しいところである」と語ったとされる(maha-parinibbana-suttanta.`Ramaniiyaa Aananda Vesaalii,')。お釈迦さんは厭世の人と言われることさえあるのだが、釈尊は生を楽しんだことがあったのであろうか。もしも人生を楽しんでいたとすれば、人生のどのようなことを楽しんでいたのか。
 仏教では、初期には「無常、一切皆苦、無我、不浄」といい、後期には「常、楽、我、浄、(永遠、楽しい、私が、清い)」という。その意味は何であろう。
 悟るものには、生は楽しく永遠であり、凡夫には、生は苦しく短く、自他不明というのであろうか。
 それとも、迷悟の問題ではなく、方便究竟、現実改変の因果の問題であろうか。
 いずれにしても、お釈迦さんに甘露(楽しい)場面があったことは、確かではなかろうか。

 大晦日の万灯会。「こんな祭りがしたかった」という祭りが目の前に在った。
 それは韓国風の踊だったが、人々は境界を超えて踊っていた。人と人との境。民族の境。男女、大人子供の境。主観と主観の間にはいろいろな境があるが、それを人々は超えて踊っていた。
 私とあなたとは同じではない。同じだけど同じではない。般若心経のような世界である。日本人、アメリカ人、フランス人、韓国人、沖縄人・・・。いろんな人が一体になって踊っていた。不殺生平和万灯会の夜。境内は何千個の灯火で輝いていた。
 ヒロシマ平和の灯。ナガサキ誓いの灯。神戸震災希望の灯。ミナマタもやいなおしの灯。オキナワ平和の礎の灯。韓国戦争反省の灯。そして毎年の平和行脚の灯。その灯を種火として、一人一人が願いを書いて灯していく。一つの灯は、ひとりの生きる祈り。しかしその灯は、過去の生類の歴史の積み重ねを抜きにしては灯らない生死累積の灯。
 生類は、喜ばしい日々を重ねてきたか。それとも、苦しみと痛みの日々を重ねて来たか。
 答えは否定的である。人生は甘露であるかと問うて、お釈迦さんはどう答えるだろう。「富を独占し、他を支配し、己を顧みないものにとってはある意味で、人生は幸福であろう。しかし、支配され、富から排除され、底辺に生きるものには、人生は苦である。そして、富める者、支配する者とて、対立を意識するなら心に幸福ではなく、不幸であろう。」と答えるであろうか。
 ダンマパダの45偈。ブッダは言う「もしも汝が、<賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者>を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め」と。
 お釈迦さんは、真の友を心得ていた。サーリプッタ(舎利仏)や、アーナンダや、もろもろの弟子であろうか。してみれば、人々が心を磨き行動を整えて真に生きる時、お釈迦さんは心から楽しいと思ったのであろう。そして善き友の居る、ヴェーサーリーは楽しいと語ったのではないか。

 話は戻って、大晦日の夜、もろびとの平和の灯のともる石手寺の境内は、三重の塔のお釈迦さんも居て、そして、灯は苦難の歴史を乗り越えながら不屈の灯となって、ひとびとの清い願いを照らしていた。その光に照らしだされながら、人々が輪になって輪に入りながら踊っていた。踊っていたのは、ひとびとの善き友を得て、手に手を取って生を喜ぶ心と心であったろうか。
 こんな楽しいひとときは初めてであろうか。不殺生平和万灯会に念願していた心が点ったように思った。人類が、民族の壁を超え、上下をなくし、男女差別をなくし、一個の人間として、うちとけていく。そのように人々は生きたいと思っていたし、生きているし、生きていくのだ。確かにお釈迦さんはこの光景に「ラマニーヤ、甘露なり、大安楽なり」と言ってくれるだろう。

 二千六年が明けた。
 正月の境内は、止揚学園の近藤さんとその友だちの歌声があった。
 止揚学園は滋賀県にある知能に重い障害を持つ子どもたちが暮らす家である。二人は、その子供たちといっしょに生活している。頭の下がることだ。
 歌は、「弱いことは強いことなのです」「ゆっくりあしるこうな」「子どもの笑顔をけさないで」そして「愛とは汗を流すこと」の内容だった。ごらんの通り、止揚学園はキリスト教の学園ではある。そのメッセージは、確かで愛に満ち、行動に満ち、真の友情で満ちていた。

 二月十四日バレンタデーの日。四回目のホームレスお風呂接待と食事会とバレンタインデーがあった。
 いつものように、ホームレスの人々が寄って楽しそうな雰囲気だった。ボランティアの人からチョコも配られた。このままラマニーヤな時間が永遠であればと願う。しかし、時間が経てば彼らはまた寒空の下へと帰っていく。「無常」、「苦」、「分離(無我)」である。
 そこへ、私へのプレゼントがやってこられた。生活福祉課の課長さんが、おばちゃんを連れてきたのである。そのおばちゃんは、昨年の節分の夜から懇意にしている。そして一月前に会った時には「あんたカトサンやろ」と言ってくれる仲になっていた。だから「バレンタインデーにはおいでよ」と言っておいたのだが、やっぱり四度目も来ない。たぶん日にちを忘れたのかと思って諦めていたが、ちょっとばかりたいへんな匂いをぷんぷんさせながら彼女は入ってきた。
 「チョコレート持ってなかったからよう来んかった」とかいう。ちゃんと福祉をもらえるようになったらしい。この国もいい国だと感心する。課長さんが「憲法二十五条やろ」という。課長さんとは二十六年のおつきあい。この十年間は、それが縁でいっしょに阪神震災の地に毎年水軍太鼓の演奏で激励に行っている。この一月十五日十七日も宝塚西宮と石手寺で供養と励ましの祈り太鼓をしたばかりである。
 これも、真の友と居るラマニーヤ・甘露であろうか。
 おばちゃんは、私の熱意が伝わってここへ来てくれたと思っている。「アパート暮らしになるねえ。料理や洗濯は大丈夫か」と聞くと、「大好きよ」という。「つくるのが好きなんか」と確かめると「食べるのは好きよ」と言うのだから前途多難である。家もなく何も持たない風体で、巷で人々の善意に触れているままの方が却って彼女には幸福かもしれないと空想したりする。でも、彼女は嬉しそうである。
 その嬉しさが、いまこのときの、私や課長さんや人々の善意に囲まれていることへの心の動きではなく、これからの保護を受けての生活であればいいのだが、楽しい時は、いまこのときであったりする。自分が大事にされる時は楽しい。ひとりで物にだけ満ち足りて生きることは却ってつらい。
 楽と苦。もっとも大事にすべきなのは、やはり真の友か。
 御殿に住み、高級車を乗りこなしても、人の心は買えない。なりゆきの道すがら得たこの真の友。どのようにすれば、失うことなく、より真の友を得ることができるのか。これは難問である。
 お釈迦さんは言う。
 「もしも真の友を得ないならば、独り、犀の角のようにひたすら気をつけて進め」と。
 しばらく、おばちゃんのように、独り寒空の下を進もうか。