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石手寺縁起 神亀五年(七二八)伊予の大守越智玉純が夢に二十五菩薩の降臨を見て、この地に熊野十二社権現を祠り勅願所と定める。
![]() (出土瓦では六百年代)毎年四月吉日には、降臨した菩薩、天人、獅子等の縁起練り供養が行われ、それらの古面は寺宝として宝物館におさめられている。 本尊は薬師如来。天平元年(七二九)行基菩薩の開眼による。衛門三郎の縁起以来弘法大師の信仰が厚く、お茶堂には弘法大師がつくられた大師像がまつられている。 平安から室町期には隆盛を極め寺域東西数十丁七堂伽藍六十六坊を有したが、永禄九年(一五六六)長曽我部氏の兵火のために十二間四面重層の金堂を始め寺域の大半を焼失した。現在、中枢伽藍を伝え四国霊場大師信仰の中心である。伽藍配置は、曼荼羅形式で多くの堂宇を巡ることは八十八箇所巡拝に似て親しまれている。
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衛門三郎縁起 〜四国へんろの始まり〜
昔伊予の国浮穴郡荏原に「衛門三郎」という欲深い長者がいた。ある日托鉢の僧を弘法大師とは知らずに、彼の托鉢をとりあげ投げつけたところ、鉢は八つに割れた。 ![]() その後八人の男の子が次々に死に、三郎は邪見を捨て改心し四国巡拝に旅立つ。そして大師に会えぬまま、遂に二十一回目天長八年阿波の国焼山寺の麓で病に倒れる。その時突然弘法大師が枕元に現れ、一寸八分の石に「衛門三郎」と刻み彼の手に授けると三郎は安心して息を引き取った。 その後この地方豪族河野息利に男子が生まれたが、右の手を握ったまま開かないのでこの寺に願をかけたところ、手の中から「衛門三郎」と書かれた石が出てきた。そこでこの石を当山に納め、寺号を安養寺から石手寺に改めた。 現在「衛門三郎玉の石」は大講堂にある。
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石手寺宝物館千百有余点の寺宝の中から約百点を陳列。いずれも逸品ばかりで石手寺開基以来の歴史を知る上で貴重なものばかりである。 |
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その他の主な宝物 錫杖、鈴、雪舟仏画、湯止札、古文書、宝剣と大蛇の骨、など |
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