仏教徒の戦争反省 
「戦闘機臨済号献納への道」水田全一著 より抜粋
 人間が人間であるかぎり、何の誤りも犯すことなく生涯を通すことは不可能なことである。人間は本質的に過ちを犯す存在であることを認めざるを得ない。だが同時に、人間が人間であることの証明は、自らが犯した過ちを忘れすに、自省して後の教訓に生かしていくことができるところにある。
 だから釈尊は、人間は元来、円満な人間性の保持者であったことを確証しつつも、過ちを犯す弱い存在であることも、承知されていたから、自発的に自らを、その円満な自性に立脚して律する生活規範としての「戒」を、自らに課することを、すすめられたのである。
すなわち、人間には自らに問題を呈示してそれを解明し、能動的に対応できる主体なのである。そして、その一人一人によって構成される組織体である教団もまた同様である。
 そもそも繹尊の教法は、階級差別のバラモン社会に在って、「四姓平等」という人間の平等性の自覚から出発したものであって、それは当然、生命あるものの相互尊重に帰結し、平和を願求するものであることは釈尊の事歴によっても明らかなことである。
 しかし、現実の日本仏教々団の現代的展開には、繹尊と各宗祖師方の教法を裏切ってきたというほかはない事実がある。
 禍根は、明治新政府の「神仏分離令」に遡る。この法令が激化し、寺院、仏像、経巻の破壊に及ぶ廃仏毀釈の暴挙の嵐を止めるには止むを得ざる選択であったとしても、仏教僧の徴兵参加は、仏教にとって、致命的重大事であることに気づくことはなかったのであろうか。教法を柱げて時流に迎合し、仏教の根本理念を失わしめたといわざるを得ない。
 国民の尊崇する拠り所であった現人神としての天皇は、敗戦後、神の座を下り人間に戻られ、国民は精神的拠り所を失うことになった。その時、国民の大半を信者とする仏教力1、当然精神的支柱としての任を果たさなければならなかった力て、その仏教は、国民と同様、銃を担って世俗にまみれていたのである。
 社会が大きく変動し、従来の権威や、世俗的価値観が失われた時、世俗的価値観を越えた人間が人間として生きる上での根元的価値を見直し、新たな出発をはじめなければならない。しかし、その根元的価値であらねばならなかった日本仏教は、その根元を自ずから失っていた。
 満々たる時代の奔流のどこかの片隅にでも、その流れを冷徹明晰な眼で見据えている、不変不動の巌の如き霊性的領域を、何時の時代も社会は、保持していなければならない。
さすれば、固有の文化の伝承も含めて、戦後のこの国の精神的混乱は、さほどのものではなかったのではないか。僧侶にまで銃を担わせた為政者の、人間と人間の歴史の帰結を知らない倣慢であったというぺきであろうか。この禍根は、長く今日にまでも及んで、教団の社会的指導性を失わしめて、国家的民族的思潮的低迷につながっているともいえるのである。
 しかし、幸いなことに教団は、繹専の教法を完全に喪失することなかった。
 わずか一握りではあった力く、僧侶の本分に立脚して、時流に迎合することを拒んだ僧たちが居たことは救いである。そして、戦後、幾人かの仏教的良心が、日本仏教の現代的展開を歴史的に検証して、自省する論述が発表された。そして、数個の教団が、戦争協力の憾悔を表明された。
 私たちは、終戦後六十数年も経て、やっと過去を客観的に総括できる状況に至ったと思われるが、片や過ちの歴史を繰り返しかねないあやふやな社会状況もある。
「戦闘機臨済号献納への道」水田全一著 より抜粋
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