楽変化天のはなし

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 ある人が、よほど前世で良い事を行ったのか、エンマ大王に認められて彼は、なんと、この楽変化天に生まれる事になった。楽変化天とはその名のとおり、楽しみが思いのままに満喫できるという最高の天国である。しかしながら、彼は生前に仕事ばかり熱心で、遊びとか芸術とかはほとんど知らなかったのを銘記して置いて欲しい。与えられたものをこつこつと何の疑いもなくやり遂げる優秀な現代人だった。

 この天の世界にやって来て、彼はエンマ大王にだまされたと思った。「あんなに親の言うとおりに真面目にやったのにどうしてこんなひどい所に来てしまったのか」。あまりのショックに、二、三日は何も考えることができなかった。

 想像してほしい。何もないということを。この世界には、天人以外何もない。目を凝らしてみると、あちらこちらに、同じような顔をした、みんなハンサムで美人の天人が、いるだけである。大地も山もビルも道も何にもないからっぽの世界。そこに心の目を開けると、うっすらと、彼ら天人の住んでいる世界が見える。つまり、天人ひとりひとりが、それぞれに自分の世界を思い浮かべては楽しんでいる。自分自分に世界を創り出し、それをまの当たりにし、触わったり動かして喜悦している様が、見えるのである。

 ある天人は、自分のまわりを、ステレオとオーケストラと あらゆるレコード・譜面・楽器・名演奏者で満たしている。ある天人は、一万戸以上もの、それぞれ趣の異った宮殿をつくり、移り住んでは喜んでいる。ある天人は酒と異性?(天人には性差がない、あるいは男性・女性・中性・惑性・慢性・母性・・・・など限りない性がある)の酒池肉林の極みを楽しんでいる。ある天人は、生前を忘れられないのか、ガンジス川の近くに農地を拓き、牛を使って今日も働いていた。

 さて、この天の世界では、コミュニケーションなるものがないのか?。ある者は、紀元前の世界に住み、ある者は、武士の戦いにあけくれる世界に住み、ある者はヒトラーを演じ(来世は、地獄おちか)、ある者は、現代に住んでいる。それぞれが自分の興味の世界に住んでいるのである。その天人たちは自分独自の世界を楽しみ、互いに話し合うということがない。そして、そのほとんどのものが、その人の死んだ時代に縛られていた。というのも、彼らの住んでいる世界は、自分で想像し、創造した世界なのだ。

 話がややこしくなったが、さて、このたび初めてこの世界にやってきた彼は、何をしてよいものやら分からない。ただぼーっとしている。

 「・・・ああ、困った、だれか相談にのってくれる人はいないものか・・・」。すると目の前に天人カウンセラー協会のビルが虚空の中にそびえ立っている。それはもう豪華な高層ビル。何といっても前の世で彼はこんな世界を望んでいたのだから。そんな時代の象徴のようなビルがたった一本、何にもない雲間のような世界に浮かんでいる。但しここだけの話だが実際にはビルの壁が所々剥げているのを彼は知る由もない。いわんや彼には想像もできない掃除のおばさんの苦労なんかがビルにはつきものなのを彼には言わないで置こう。彼は相談に行った。

 「いったい僕は何をしたらいいのか分からないのです」

 「はあ」

 「こんな所は初めてで全然おもしろくありません」

 「ここは極楽中の極楽ですよ。あなたのように一生懸命に生きてきた人だけが来る所ですよ」

 「僕にはただ苦痛でしかありませんが・・・」

 「天人というのはですね、自分で欲望を創造しなければならないのですよ。創造力のない天人は、無免許の外車所有者みたいなものですよ」

 「あのー、その外車というのは何ですか、私は、自分に前世があって、それが人間であったことは知っていますが、前世の事もよく覚えていないのです。いや、さっぱり」

 「ああ、そうだったですね。生まれ変わると前世の事は、全く記憶しておりません。だから、だいたい、やる気のない天人、といっても、ほとんどすべての天人が、必ずここへ相談に来ますが、彼らには、まず、下界つまり人間界や畜生ですが、それらを眺めることのできる望遠鏡を、創り出すようにアドバイスしております」

 「ではその組立キットをいただけるのですか」

 「何にも分かっていませんね。心に念じるのです」自分の心の中で望遠鏡を思い浮かべるのです」「ふーーん」 彼はだまされた気分で、その望遠鏡を心に思い浮かべた。彼は、想像力がとぼしかったので、なかなか思いどおりのものができない。やっと形ができた、と思うと向こうが見えない。何度やっても向こうが見えない。

 「あれれれ・・・」。さっきまで目の前にあったカウンセリング協会がビルごとなくなっている。望遠鏡に心が集中している間に消えたのである。

 面倒な世界である。彼はまた、カウンセリングに行こうと心に念じる。すると、カウンセラーが突然現れてとぼけて言う。「あっ、忘れていました。良く思い出して下さい。この世界では、自分が欲しいと思ったものを、自由に造り出せるのですよ。ということは、思わなければ出て来ない。つまり望遠鏡の向こうに見たいものを、実は、あなたが創造しなければならない」

 「ということは想像力がなければ、何も手に入らないということですか」

 「そうですねえー、たとえばですよ、望遠鏡の向こうに、人間界を見ようとするでしょう。実は人間界なんて、存在しないのですよ、だって、天人には、まだ真実を見る力がない、だから、仏様によってこの事は禁止されているのです。これは嘘のようで嘘ではないのです。もう一度言いますよ。これが、最後です。これが理解できなければ、あなたの八千年という天人の寿命は、そっくりそのまま地獄の八千年になるでしょう。それも、この空虚な天界でずーっと。いいですか、こ・の・世・では、自分で意志し、想像したものが、自分の世界となるのです。想像力がすばらしければ、それだけすばらしい世界が創造される。善なるものはますます善に、邪悪なるものはますます邪悪に。もう一つ、あなたの言語力は非常に優秀ですが、言葉に現実感がない。ことばだけでは、創造はできません。イメージや・情緒や・喜怒哀楽が必要です。ひょっとするとあなたは前の世界で人の言いなりになって自分で考えることをしなかったのではないですか。事実と感動に結びついた想像力がなければ、あなたの世界は将来「活字」で充満してしまうでしょう」

 「んーん」

 「最後に、よく冷静になって見て下さい。あなたには、まだ、身体さえ創造されていない。どうです。こんな、とんでもない世界に、あなたはやって来たのですよ」

 ・・・

 ・・・

 彼はどんどん青ざめてきた。カウンセラーは言った。

 「ここに、この国での仏からの注意事項が有ります。読んでみましょう。

 あなたには、食欲・性欲が十分にありますか?

 あなたには、物を思い浮かべる力がありますか。だってあなたが前世で有ると思っていたものは全部他人から与えられた物。自分でつくったものがありますか?

 あなたは、自然を思い浮かべられますか。自然の細やかさ生命力を?

 あなたは、人を思い浮かべられますか? なければあなたはこの世でひとりぼっち。

 あなたは、愛情を思い浮かべられますか? なければあなたはもうかわいそうななぐらいひとりぼっち。そしてあなたが他人に対して愛情を持っていなくて愛情を他人からもらっていたとすると、それはにせもの。あなたは昔からずっとひとりぼっち。

 あなたは、この矛盾した問いの裏にある人間自身の有るものと無いもの・思いつけるものと思いつけないもの・湧き出るものと決して湧き上がらないもの・何より人間の完結性と閉鎖性・自分に思いつけることのみが自分の世界をにぎあわしているということを分かっていますか。

 むーん。どうです。あなた自身のことなんですよ。

 ・・・

 欲望がないとは、すでに死んでいることであり、欲望のみがあるとは自分の世界から永遠に外に出られないという閉塞であり、想像力と創造の強い意思がないとはすでに死すがごとくであり、そのうえに愛情がなければこの世は言葉と構造物だけのゴーストタウンに過ぎないということが分かっていますか」

と言うなり、カウンセラーはいきなり消えてしまった。

 彼はカウンセリングに行く気さえ起こらぬまま、今も自分について考え続けている。その彼の周囲ではそんな彼の細やかな心など思いもつかない人々が今日も快楽の日々を堪能していた。「腹が減った」。「男が欲しい」。「おかあさん甘やかして」。強烈な本能欲求にまみれた者たちはもぬけのからの愛人に気を取られ、形さえままならぬ疑似物に取り囲まれて、心の幻影をさまよっていたのである。