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四国遍路の人 |
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「これは最高の贅沢ですよ」。大学生と見間違えたお遍路さんは、四十歳後半の実業家だった。真っ黒に日焼けして、白装束の男性は二十センチもすり減ったかと思える杖を持っている。一番からここ五十一番まで歩いて来たのだ。どこまで行っても何もない室戸岬や、ただ同じ風景が繰り返す足摺半島を彼は知っている。「うまい具合に休みが取れて」と言いながら、今日で二十二日目という日記を見せてもらう。一周すれば四十日以上かかる。「だんだん早起きになり、体が軽く快調になった」。それにしても健脚だ。
早速、回りはじめた理由を聞くがはっきりしない。皆そうである。四国遍路をしている人たちは理由がはっきりしない。しかし、はっきりしないだけに動機は深刻であったりする。悲しいことは皆伏せているから。そのうちに打ち解けてくる。
「まず、自分を鍛えなければ」と言う。仕事は快調だが壁を感じている。現代皆そうだ。燃えていて不完全燃焼。そして「見えなかったものが見えてくる。四国を歩いていると政治も経済も見えて来た」と言う。四国には山と海と貧乏しかないのに。
この言葉分かるだろうか。梅雨から盛夏へ、草の生い茂る獣道を杖で毒蛇を探りながら歩いてきた人の言である。大阪に戻れば、一糸乱れぬ仮面の経営者としての彼が待っているだろう。「帰りたくなくなった。ずっと遍路していたい気持ちだ」。そのままアウトサイダーして永遠に回る遍路さんになれるような気がする場所だ。 |
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四国遍路の人 2 |
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この寺で多くの若いお遍路さんが途中下車する。そして途中下車する人はやはり人生で途中下車して遍路へ出た人である。「仕事で失敗して遍路している」「家庭が崩壊して・・」「高校は出たけれど・・」「一度就職はしたけれど・・」という具合である。
遍路は一時の逃避地である。そして癒えた人、再起した人は遍路を途中下車する。この遍路、何度回ってもいいことになっているが、活路を見いだせなければそのままその人の墓場となる。「自殺行」「死に場所」「死国」といわれる所以である。遍路道の傍らには行き倒れの遍路たちの無名の墓が多く残っている。
最初の遍路人は弘法大師であるが、彼は進退窮まって僻地に流浪すると自ら記している。彼がそのまま行き倒れになっていれば、四国遍路は社会に絶望した者の「自殺行」となっていた。しかし、彼は仏教を手掛かりにして活路を見いだすのである。それは社会に敗れた者が社会へと帰っていく「再生の道」であった。既存の支配社会への絶望、そして世捨て人としての放浪、四国で人々と自然に出合いその中で精神的自由を得て、再生と既存社会への復帰と変革。
弘法大師が再生したことで、四国遍路の自殺行は同行二人のイメージを得た。四国を遍路するということは、絶望の淵に立つと同時に光明の間近にいるということである。 |
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四国遍路の人 3 |
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「気がついたらお寺に来ていた」。突然夫を亡くした彼女は、悲しみにくれていて、私にはなすすべがなかった。そんな彼女が四国遍路を始めた。そして二度目を回るという。「お遍路をしている時は気がまぎれます。お札所で会った和尚さんの言葉で少し気が楽になりました。まだまだいたたまれない気持ちですがもう少し回ります」と言う。
最愛の人を亡くして、誰にも会いたくない、悲しみを独り癒したいという人はどこへいけばいいのか。同行二人。本来は弘法大師と二人連れという意味だが亡き人と二人連れの旅である。人が死ねば、そのお位牌を持って一緒に回れば功徳になるという。巧い話だが、実際に時間をかけて同行二人していると心が安らいでくるというから不思議である。
何のことはない。時間が必要なのである。人と分かれるには全く空虚ではない時間が必要なのである。何か有意義な事をしながら時間をかけて自分を変えていくことが必要なのである。親戚の関係が薄くなった。人間関係の絆が弱くなった。人が無条件に大切にされる場所はどんどん減っていく。
お四国はお弔いが認知された数少ない場所である。悲しみが寄り合う場所。その悲しさが悲しさを和らげる場所である。そして人が生きていくとはこんなに悲しく苦しいことだと知らされる。 |
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四国遍路の人 4 |
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「私の父はどうしてそんな人々を泊めてあげるのか分からなかった。ライ病や肺病のお遍路さんを善根宿だといって泊めてあげるのです」。
社会的困窮者への最終福祉施設としての遍路は実話であった。この寺にも常連の永劫回帰のお遍路さんが泊まる。手押し車に家財道具一切を積んで回ってくる親子もいた。着替えもろくに持たず、何日も風呂に入らぬ体に近づくには勇気がいる。「村で不治の病になるとその村から追い出される。行き場のなくなった者は遍路に出るのだ。四国には昔から、外から来たものを大切にする太子信仰があって、そんな人々をも食べさせ、お堂に幾日かずつ泊めた。そして次の村へと引き継いだ。途中で亡くなれば墓を立てた」。
社会から忌避され追い出されてきた者と、それを「お遍路さん」として迎える者。不思議な世界がここにはある。元々、遍路する人は弘法大師であったり、外来の異文化招来の聖者、滅罪の修行者、ひいては自分の代わりに修行して回る人である。遍路の姿をしていても病人や悪人や生活困窮者を差別するのかどうなのかが、接待する側の人々には「やさしさ」として求められた。迎える側は、来訪者の難儀を知って迎えたのである。そこには尊い人であると同時に、底辺の人であるという構造が出てくる。難病の者を手厚くもてなすという捨て身の行為を導き出すこの遍路というシステムは、人間心理の清濁を包括している。 |
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四国遍路の人 5 |
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「成人式の代わりに遍路に出す」。こんな習慣が戦前にあったそうである。他の村の生活習慣、他の田畑、他の山河をみる社会勉強でもあった。しかし何より、自分たちだけで暮らし、他の人に会ってこいということらしい。
お遍路さんには二種類の人があると言っていた。うつむいて歩く人と、上向いて歩く人である。どこが違うのか。それは人を避けて行く人と人に出合いを求める人なのだ。遍路は辺土といい、僻地の事である。わざわざ僻地に逃げてきたのが遍路だから、人々に会う必要はない。ところが人々に会うようになるという。
まずは、お遍路さんには多くの人が声をかけてくる。「どうぞお接待を」とお菓子を差し出したり「次の町まで送りましょう」と車のドアを開ける。実は、逃避地でありながら、認知された逃避地であって、遍路地の幾人かは遍路を待っている。だから、独りになろうとする孤独な逃亡者も、世間へと引き戻されるのである。
あるお遍路さんは「出会う人に声をかけようか、やめようかと思いながら、色々やって来た。するとだんだん分かってくる。この人はこんな人だということが」と言う。他人の存在を確認しにくい時代である。他人なんて居なくても生きていけると錯覚している。お遍路に出たら、「唯我独尊」を決め込むのは難しい。
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四国遍路の人 6 |
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納経帳というのがある。八十八の寺で本尊の印を貰う。そして真っ赤になった納経帳がある。それは何十回も回った印である。回れば回るほどいいから回っている訳ではない。気が済まないから回るのである。それより、回るしかないから回り続けるのである。
その最たる人は行き場のない遍路人である。ある「四国遍路紹介書」に英語で「無一文で回れる遍路」とあった。実際に無銭で回ろうとした人も居る。それはそれなりのやり方がいると言っていた。お遍路の姿をしてお経を読む。そのスタイルが要る。失敗すれば、身を崩し単なる流浪の人となる。果して今日の仏教界に「布施」で暮らせる仏教があるのか問うてみたい。葬式代や参拝料で成り立つ寺院はあっても、仏教を志すものが布施を受けて生きていける道はない。その僧(人)の徳に対して布施するという事実はないのである。その意味では、四国遍路はその修行によって生活可能の幻想を持てそうな僅少の場所である。
つまり、仏教は布施をするに値する幻想を喪失してしまった。仏教には崇高な理念も、悲しみへの労りの祈りも見えない。何を思っているのか、何を思いやっているのかがない。つまり、僧や寺に魂の宿りを感じないのである。それに比して、遍路にはまだ何かが残っている。それは遍路の行人の悲しみや祈りや汗の雫が醸しだす遍路の共感する魂である。 |
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四国遍路の人 7 |
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「四国が荒らされていく。せっかく残っていた自然が破壊されていく。現代の公共事業、社会資本の充実とは自然資本の喪失でしかない」。四国を歩いてみると現代が浮足立って見えるという。車上からでは見えない世界である。高速道路を伝っていくとコンクリートと金網越しのかわりばえのしない旅が待っている。それは豊かな自然を石灰の瓦礫で覆う危険を秘めている。日本中便利になって行き先を失った。
しかし、コンクリートのこちら側に住んでいる私達はそれに気づくことはないし、失われていく自然を強烈にいと惜しむこともない。それは四十日もかけてとぼとぼと歩いた人だけが知る世界だ。
歩きはじめる時、お遍路さんはあれもこれも沢山の荷物を持って出掛けるという。そして歩を進めるうちに身軽になっていく。これもいらない、あれもいらない。そうして最低限必要な物だけ持って歩く。それはお釈迦さんの袈裟と鉢だけの遊行を思い出させる。持ち物が減っていくにつれて、出会う人が大切に思えるという。
一日、三、四十キロ歩く。「仕事のことを考えている時はなかなか時間が経たない。そんな時はお経を何十辺、何百辺と唱える。口は蟹のように泡だらけになる。こんな時は目的地に早く着く」という。時間の長さが違うんだ。「足で感じる時間」ということを聞いた。この自然、この人、求める方向が異なれば見え方も変わってくる。
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四国遍路の人 8 |
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とくべつ何があるわけでもない。とてつもなく長い四十日間。何もないと言った方が良いかもしれない。こんな所へ何故人々は来るのか。どうして何時までも居るのか。
「どこにも行き場がない」からだという。そういえば流浪人、尾崎放哉が「さみしいぞ、ひとり五本の指をひらく」と詠んだとか。世の中が暮らしにくくなると遍路が増える。若者の遍路や四十歳過ぎの遍路が増えるのは時代を反映しているのだろう。ただしその人々は「行けば何かあるだろう」ということでやって来るのである。明確に何があって何が得られるというのではない。逆に、自然と人間しかいないというべきだろう。その中の人間は怪しい。人間の姿をしても人間でない者が闊歩している。つまり人が困っていても手を差し伸べない人々である。そして自然も破壊されつつある。東京を遍路するのと四国を遍路するのといずれは同じになるかもしれない。
そういえば地下街のホームレス・ダンボール生活の人々の方が同胞愛があるという話や、先の尾崎に共鳴しているという話が載っていた。四国遍路よりも地下街で托鉢をしたほうが自分の発見の近道になる日は近いかもしれない。 |
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四国遍路の人 最終 |
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四国に来る人は型破りな人が多い。良くも悪くも世間から外れた人達である。
四国遍路の物語は弘法大師に始まる。弘法大師は若い日、真魚と呼ばれた。真魚は、一族に期待されて努力した。それは身分制と強固な支配関係の中での「儒教的な努力」といえる。是非を問わず今の時代が決めたルール通りに努力する。しかし、その不自由さが我慢ならなかったのか。真魚は突如、都から姿を消す。浮草のような生活と後に語る四国放浪の辺土生活である。衣食住・名利を離れた山水に身を遊覧させ、権力と非権力、富と貧の間を自由に行き来する仙人の生活である。しかし、飢餓と逃避の孤立生活は行き詰まる。そして第三の道、この世がそのまま楽土、自由の大地に成る道を求めるのである。それが弘法大師の四国遍路の出口すなわち仏教であった。
現代、何もしない一週間をつくれる人は少ない。そして四十日をつくるのは至難である。ならば、一生を無駄と決めるホームレスにやがては道を尋ねる日が来るだろう。
四国遍路にモラトリアム=時間稼ぎする若者が増えた。しかし彼らが何から解放され何へと向かっているのかは見えない。現代は笑いと駄洒落とポルノで覆われ、真実の世界を見えなくすることで皆が我慢している。
四国遍路は自分の心を遍歴する事である。自分を自由にする事である。そして身も心も社会も自由にする跳躍台である。
心を旅する四国遍路が、弘法大師の遍歴を辿ることを祈って止まない。それは弘法大師が祈りつづけた「宇宙のあるかぎり、有情のあるかぎり、みんな涅槃を得るのだ」という希望の道である。 |