2006年1月15日西宮仁川地区追悼と祈り・宝塚東公民館慰霊祭
1月17日午前5時45分・阪神震災追悼供養と復興の祈り

愛媛新聞より

2005年 1月15日16:00阪神淡路震災追悼と復旧共生の祈り モニュメント除幕
1月17日5:46阪神淡路震災追悼と復旧共生の祈り
忘れないために
被災した方々に耳を傾け、共にできることを考えたい

阪神淡路震災追悼と復興の祈り
並びに、震災モニュメント除幕式、参加のお願い


打てば響く会 代表 加藤俊生(長生)

 当会では、阪神淡路震災後救援として阪神地域への物資支援、水軍太鼓演奏などの交流、並びに、愛媛県県内の被災者支援と交流、追悼式を行ってきました。
 2005年1月17日は、震災10周年になります。追悼式と記念碑の除幕、震災の反省と今後を考えての復興の祈りを行いたく、ご参加を呼びかけます。
 特に、今回神戸方面より被災者の方を招き、体験を話していただき、震災の困難がどのようなものだったのかをいっしょに考え、ともにできることを祈りたいと思います。当日のボランティアスタッフも受け付けています。(連絡先977-0870石手寺まで)

日時 2005年1月15日(土曜日) 午後4時
場所 石手寺境内
16:00 開会 被災者のお話
道後中学校吹奏楽部演奏
打てば響く会演奏
追悼と復興の祈り、黙祷と読経
17:00 震災モニュメント除幕式(裏境内に移動後)
甘酒などおせったいあり

参加予定者 宝塚、西宮等地域から震災被災者とボランティア約40名
県内被災者(案内は約100名ですが、参加者は未定、17日午前5時半にも案内)
他ボランティアスタッフ(水軍太鼓他)
2003・1/17阪神震災慰霊祭
文集をつくりました メールを頂きましたらお送りします




2002年

 

 

 ただいま県内在住の被災者の方々の文集づくりを目指していますご協力ください

また、石手の農家の方より頂いたいよかんを送っています 

2001年の阪神震災慰霊供養と「ヒトノココロ1.17いのり」の灯り・報告

2001年1.17人の心いのり34名が亡くなった仁川で祈った

目次へ

#平井京子さん談話テープ

#三枝さん談話テープ

#2001年1.17人の心いのり

#希望の灯り

#久しぶりに震災の声

#いよかん送った

#1月15日と17日阪神震災慰霊

#松山医療福祉専門学校1年

#聖カタリナ女子大学一回生

#聖カタリナ女子大学 三回生

#仮説は語るその三

#仮説は語るその四

2001年1.17人の心いのり

被災者と共に

慰霊供養も早6年目を迎えた。しかし、月日とともに元気になる人もいれば、時間が止まったままの人もいる。私は供養のお地蔵さんを建立したいと思い、いろいろな方に相談をした。「それなら震災地の石を貰ってきて、お地蔵さんをつくればいい」という声が大きかった。そのうち自分たちで作ろうという気持ちになる。それは、ミナマタのお地蔵さんを想起させた。

話が進み出すと、以前に、宝塚の仮説に住まれる被災者の方々を道後温泉に招いたときに、同行された記者の方が石を捜してくれた。そして宝塚のボランティアの亀甲さんが、四種類の石を用意してくれた。

一つは、全壊した住宅の廊下の礎石

一つは、全壊したお寺の礎石と石柱など

一つは、先の仮説の交流した被災者の方々が集めた一人一人の石

もう一つは、仁川地区で土砂に埋まった三十数名の遺族の方が集めた石

後者二種類の石には、「想」「忘れないで」「ありがとう」「絆をいつまでも」などと被災者とボランティアの想いが書き込まれている。

これらの石は、ある人にとっては希望を、ある人にとっては涙を、ある人にとっては痛みを書き込んだ心の石である。

私達はこれらの石たちを石手寺の境内中央に祭り、その背後に

「ヒトノココロ1.17いのり」の灯りを点して例年のごとく被災者の方々と共に供養と祈りを捧げた。1.17のこの日、被災者の方々は、想いをあの時に傾ける。それは肉親の死であり、隣人の死であり、なんとか助けたかった気持ちに他ならないであろう。私はそのことを思い出しながら語る被災の人々に耳を傾けながら、痛みを共にすることが供養の最善だと思う。そして、震災を語るすべての出発点が、今被災者の語りにあると確信する。人間には分からないことがたくさんある。分からない悲惨なこと、分からない人の痛み、分からない自分の思い、それらの分からなくも尊いものへの想いが深く深く問われる日である。

希望の灯り

慰霊供養も早6年目を迎えた。しかし、月日とともに元気になる人もいれば、時間が止まったままの人もいる。私は供養のお地蔵さんを建立したいと思い、いろいろな方に相談をした。「それなら震災地の石を貰ってきて、お地蔵さんをつくればいい」という声が大きかった。そのうち自分たちで作ろうという気持ちになる。それは、ミナマタのお地蔵さんを想起させた。

話が進み出すと、以前に、宝塚の仮説に住まれる被災者の方々を道後温泉に招いたときに、同行された記者の方が石を捜してくれた。そして宝塚のボランティアの亀甲さんが、四種類の石を用意してくれた。

一つは、全壊した住宅の廊下の礎石

一つは、全壊したお寺の礎石と石柱など

一つは、先の仮説の交流した被災者の方々が集めた一人一人の石

もう一つは、仁川地区で土砂に埋まった三十数名の遺族の方が集めた石

後者二種類の石には、「想」「忘れないで」「ありがとう」「絆をいつまでも」などと被災者とボランティアの想いが書き込まれている。

これらの石は、ある人にとっては希望を、ある人にとっては涙を、ある人にとっては痛みを書き込んだ心の石である。

私達はこれらの石たちを石手寺の境内中央に祭り、その背後に

「ヒトノココロ1.17いのり」の灯りを点して例年のごとく被災者の方々と共に供養と祈りを捧げた。1・17のこの日、被災者の方々は、想いをあの時に傾ける。それは肉親の死であり、隣人の死であり、なんとか助けたかった気持ちに他ならないであろう。私はそのことを思い出しながら語る被災の人々に耳を傾けながら、痛みを共にすることが供養の最善だと思う。そして、震災を語るすべての出発点が、今被災者の語りにあると確信する。人間には分からないことがたくさんある。分からない悲惨なこと、分からない人の痛み、分からない自分の思い、それらの分からなくも尊いものへの想いが深く深く問われる日である。

久しぶりに震災の声

 

 記憶とは風化していくものです。久しぶりに、三年前の震災のテープを聞いてそう思いました。もっと前のものを聞けばもっと切実な思いになるでしょう。

 震災直後の映像や人の語りには、逃げられない迫力と真実味があります。

 三年前とは、人々が次第に震災のことを言葉にして語り始めたときでした。震災直後の悲惨さは大マスコミではなく、聞きづてや、個人の情報から真実が伝えられました。大マスコミは事情があってか、真の悲惨さを伝えることは遂に在りませんでした。巨大な倒壊物のもとでどれだけの痛みと苦しみがあったのかを、私達は知りませんでした。また、小さな弱々しい個々の住宅が、跡形もなく地面へと倒れ、その下にはいくつもの命が埋まったことを映し出すものは無かったと言って間違いではないでしょう。

 それはそれとして、あの時のことを思う人は常に「安らかに」という言葉と「忘れない」という言葉を重ねるのです。

 幼子が、母の遺骸の端をいつまでも動かない姿や、カメラを向ける報道陣に殴りかかっていき「おまえは人間でない」と罵った魂の疼きは、それを残す人の心にはいつまでも安らかさに対峙するものとして蠢き続け、その語りを止めさせようとはしないのです。

 それらは、マスコミの騒ぎが収まっていくのと平行して、私達遠くの者には見えづらくなって来ています。しかし、厳として疼き続けるその痛みをどうすれば安らかにすることができるのでしょう。やはり、忘れないで、時として共に悼み合うことによってのみ、二度とそのような悲惨を人々がうけないようにと努力する中でのみ、癒していくのでしょうか。

 そういえば、ヒロシマの平和の灯の前に埋められた碑には「安らかに眠ってください、過ちは二度と繰り返しません」と刻まれています。その刻印の同様さに、人間の性の逃れ得ない運命を感じるのは間違いでしょうか。

 方や自然災害と言われる悲惨であり、方や人間が人間に行った殺戮であります。しかし、その悲惨の後、人間が人間にとった、或いは、行い得た心理や行動は、人間を「生きる」ということへと真摯に立ち向かわせ、追いつめ、ぎりぎりの在り方を迫ったに違いありません。その中での答えが「安らかにいてください」と言うこと。そして、「忘れません、二度とこのようなことがないように努力します」と言うことだったのです。

 そのことを今、どこまで深く追想できるのでしょうか。

 そうでなければ、痛みは痛むものの、その人の中に閉じこめられ、痛恨の二文字となって、再び第二第三の痛恨を引き起こすことでしょう。

いよかん送った

 今回、県内在住の阪神震災被災者の方々にいよかんを贈ろうということで、付近の農家の方に呼びかけたところ、五十一番会(会長 松本義一さん)が中心となって、会の青果農家の方を中心に段ボール二百箱強のいよかんを寄付して頂きました。早速一六日、一斉に宅配便でお贈りしました。

 まもなく被災者の方からの感謝の電話を多くいただき、少しでも喜んで頂いたことに満足の感がありました。また、石手寺から近い被災者の方にはトラックに積んで宅配に回ることになりました。その時、ある被災者の老人は手を合わして感謝の意を示してくれました。神戸を離れ、一人で寂しくあるいは家族で知らない町に移ってきて不自由な思いをされて居る人も多いと聞きます。

 一方、愛媛で第二の人生を力強く生きられている方もいます。

 今回は特に五十一番会をはじめ、農家の方たちの協力を得て実現できました。

 紙面を借りてお礼申し上げます。