東日本大震災活動

2016/3/11被災者30人と共にお祈りののち点灯

東日本大震災から5年、松山市の石手寺で福島県などから県内に避難している人たちが集まって犠牲者を追悼し、震災の記憶を愛媛県の人たちも忘れないでほしいと訴えました。

松山市の石手寺には、福島県や宮城県などから県内に依然として避難している被災者や支援ボランティアたちなどおよそ90人が集まり、5年前に地震が発生した午後2時46分、黙とうして震災の犠牲者に祈りを捧げました。
そして、福島県南相馬市から伊予市に避難している農家の渡部寛志さんが「5年経っても私たちの心はあのときのままだが、愛媛県では記憶が薄れつつある人もいることに恐れを感じる。震災の記憶を後世に生かし悲劇を繰り返さないため、愛媛県の皆さんと歩んでいきたい」と訴えました。
NPO法人が去年10月、四国の避難者を対象に行ったアンケートによりますと、今後の生活について、▼「故郷に帰る」と答えた人はわずか23%だった一方で、▼「四国に定住する」が20%、▼「決まっていない」が39%で、4割近くが今後の生活のメドを立てることができていない現状が浮き彫りになりました。
福島第一原発がある双葉町から避難している女性は、「何十年先になるか分からないがいつか故郷が住むことはできなくても自由に入ることができる場所になってほしい」と話しました。

一年目の発言PDF
  NHKニュース      

被災者による被災者のための被災者の会

東日本大震災県内被災者連絡会
自主避難の会

次回会合 6月17日12時、石手寺安養閣
自主避難者で集まります

福島原発損害賠償訴訟

36カ月目の発言pdf


①被災者要望書


住職の声

②被災者六カ月目の発言



③自主避難の会文集と要求したいこと



④一年目の発言


自主避難者の交流会


一年目の発言PDF

○自主避難されている方を代表して

 私達はは自主避難者としてここ愛媛で、数多くの人に支えられ、励まされ、助けて頂きました。この場をお借りいたしまして、心より感謝申し上げます。
 おかげさまで古里を恋しく思いながらも、この地に愛着が持てるようにまでなった一年でした。
 原発事故が発生して政府が言い続けた言葉、
「直ちに影響はありません」。
 その直ちにを耳にする度に我が子の将来が重なり、寒気を覚えました。
 考えてみてください。
 二度の爆発で同じ市に住みながら、何㎞かの違いで逃げる人と屋内に退避する人に分かれた時、じっと家の中で窓もあけず子供を抱えている親の姿や気持を。
 一カ月経っても二カ月経っても、公表されている放射線量と、自分で実際に計った値が2倍近く違う時の驚きを。
 県内の食べ物が次々に出荷停止になる中、すでにその前から食べ続けていて、子供に与えてしまった無念を。
 つい先日、メルトダウンが早い段階で予想されていた事を報道で知りました。
 でももう、いかりでこぶしを挙げる気力さえない私達です。
 自主避難という立場は、同じ被災した仲間を捨ててきた罪悪感が常についてきます。
 強制的に避難させられた人の境遇に触れる度、自分の悩みがちっぽけで後ろめたくなります。
 自分がわがままをしているだけのように感じます。
 そんな時、マスクもせず外で遊んでいる子供を見て、なぐさめられます。
 玄関で服やくつをはたいて入らずに、
「ただいま!」
と、決起にかけ込んでくる子供達に救われます。
 せめて現場が落ち着くまで、汚染された土地でも生活していこうと決心ができるまで、自主的に避難できる権利を与えて下さい。
 この権利が早い段階から認められていたなら、どんなに違った気持で、この一年目を迎えられたでしょう。
 今、福島県だけでなく、東日本全体に汚染された土地があり、汚染された海があります。
 有名な「くもの糸」を引用させていただくなら、子供を抱えて、年寄りを抱えて逃げようとする人達に、どうぞ希望の糸を垂らしてください。
 それをつかむのも、つかまないのも個人の意思に委ねてください。
 これこそが人間らしく生きる権利だと考えるからです。
 この一年、歯を食いしばって生きてきました。そして、たくさんの愛媛県民が助けてくれました。私達はその事も決して忘れません。
 ありがとうございました。



この一年を振り返りこの先を見据え、この一年ともに歩いていただいた新聞社の方が書いていただきましたので、客観的資料として載せます。間違いが有れば正していただき、みなさまのお気持へと原点回帰しながら歩んでいきたいと思います。
石手寺住職加藤俊生
三月十一日を迎え石手寺ではこの一年間交流会で出会った人々に、この日を迎えるにあたっての文集を作り、また当日式の言葉として各方面の当事者の方に式辞をお願いし次の言葉をいただきました。本堂で追悼と回復祈願、今も心配が残る汚染区域の真の安全祈願を被災者の方々とお祈りした後、「みないっしょ3・11、カクサ(心の痛みと仕事を得ての新規復興)ヒバクのない世を(つくろう)」の灯文字の前で言葉をいただきました。


○津波被災者を代表して

 私達は宮城県気仙沼市から避難しております。垣下と申します。本日は別の会場で行われている慰霊祭に参加するため、手紙を送らせていただきました。
 一年前、大きな地震と津波で沢山の人と故郷を失いました。今でも時間が止まったままですが、あの日に生まれた赤ちゃんが歩いている映像を見るともうこんなに時間が経っているのかと浦島太郎の気持ちが分かるような気がします。
 愛媛県に来て一からの生活でこの一年とにかくがむしゃらに「生きる」ことだけを考えて過ごしてきました。だんな生活をしてきたのか振り返っても覚えていません。
 この先のことも見えていない状態でとにかく一日をどう消化するかを考えながらの日々です。
 被災地は一年にもなるのに未だにガレキガ残り被災者の心もボロボロのまま今日という日を迎えています。どうか一年前のこの日、テレビの前に座り恐怖の映像を見ながら流した涙をこれからもずっと絶対に忘れないで欲しいと願います。
 そしてこの震災を教訓に家庭内、地域での防災意識が高まり南海地震にそなえていただきたいと思います。
垣下家一同


○被災者また強制避難区域代表して

笑顔あふれる明日を(大人の責任)

 おととい、福島の親しい知人から手紙が届きました。その中にこう書いてありました。「みなさん元気ですか。私は元気です。だけど心のなかはいつも雨が降っています」。というものです。2011年3月11日のあの日から心が晴れることがなかったのです。多くの避難者もまた同じです。
 私たちが失ったものは何でしょうか。
 共に今を生きてきた多くの人を亡くしました。祖先たちが命をつないできた地を追われ、その地で生きるはずだった今の時を失いました。失われたものは数多く、大きいものでした。そして私たちの人生は、自分の意思とは無関係に大きく変えられてしまいました。
 私たちが得たものはあったでしょうか。
『命』の尊さを考えさせられました。今まで意識することのなかった『絆』というものを強く感じました。人々の温かさ、出会いのすばらしさを知りました。しかし、そのすべては、失ってはじめて気付かされたものである。そう思うと、くやしく感じるものでもあります。
 2011年3月11日の地震、そして津波は多くの尊い命を奪いました。3月10日現在、死者15854人、行方不明者3155人。亡くなった方々の無念の想い、残された人々の悔しさ・悲しみ・苦しみは、今なお被災地に渦巻いています。
 そして3月12日、東京電力福島第一原子力発電所の爆発事故によって、私たち多くの福島県民は、『生きる場』から切り離されました。震災から一年が経ちましたが、多くの人々は、未だに『生きる場』を求めさまよい続けています。
 今回、この場に来ることのできなかった原発事故によって避難を余儀なくされたある強制避難者の訴えです。
 今まで普通の生活を営む人々は、放射能の知識どころか考えたこともないというのが殆どであったと思います。
 事故後は膨大な情報が溢れ、歴代の政治家、官僚、原子力村の科学者、経済界、地方自治体に至るまで、原子力と言う蜜に集まる蜂のように電力業界の権益構造に組み込まれて来た事を知らされました。東電の経営陣の無責任さにはあきれるばかり、「値上げは権利・・」には、かぎりない怒りが湧き上がってきますし、このまま誰一人その責任を取ることなく推移する事にも納得できません。
 そして電力会社、経済界をスポンサーとしてきたメディアが原発問題をタブー視して、しっかりとした報道をして来なかった事にも大きな責任があり、今後の報道には猛反省をして頂きたいと思います。
 でも、でも、恨みだけでは何も解決しない!いつまでも被害者として悲しんでばかりでは、誰も幸せになれない!一日でも早く一人でも多くの人が前を向いて歩き出せる事が一番大切だと思うのです。
 私は福島県大熊町の、福島第一原発から約5kmの場所に住んでいました。
今は愛媛県に避難してしていますが、いつも心は福島を向いています。
「どうしたらこの大事故から立ち上がれるのか」「どうすれば大切な友人や子供たちが幸せになるのか」そればっかり考えています。
 今もそこに生活し続ける人たちと、ふるさとを追われた人達の無念をなぐさめ、誇りを取り戻す道。そのためには、みんなで新しいふるさとをつくりましょう!

 私達被災者・避難者は逃れることのできない大きな責任を感じています。そしてこれからをどう生きるかを必死に考えています。

 そもそもヒトの歴史は「誤り」と「後悔」の繰り返しかもしれません。けれどもきっと、私たちの父、母は、じいちゃんばあちゃんは、そして祖先たちは、これからを想い、その時々を必死に生きて来たはずです。
 私も同じく、しかし同じ過ちは二度と繰り返さないように、「これからの未来を生きる子供たちに何を残してやれるのだろう」と考え続けながら生きていこうと思います。
 そして叶うならば被災者ではないすべての人たちにも、これからの未来を生きる子供たちに残してやれるもの、子供たちのために守らなくてはならないものは何であるべきかという事を考えて欲しいと思います。
 私たちそれぞれの決断が尊重され、明るい未来を描ける日が早期に訪れる事を、そして、子供たちの笑顔あふれる明日がつくられていく事を願います。
東日本大震災愛媛県内被災者連絡会代表 渡部寛志