存在の根源的問い
存在の根源的問いとは簡単に言えば、「わたしが居ていいのか悪いのか」ということである。
この問いを発するのは、他人の生を土台にし、その上に自分の幸福を打ち立てようとした
植民地主義の反省に始まる
簡単である、自分の労働以上に儲け豪家を享楽する自己に嫌悪したのである
当然と言えば当然、
同じ人間が、他を生贄として自分だけ享楽を恣にした
享楽とは、自己の性、自己の罠、自己の仕組まれた本能
しかし、
その罠に嵌まる事を畏れるものと、畏れないものとの共生
自分は自分で生きたい。
自分以外のものを踏みつけ、その痛みの上にのほほんと胡座するのか
それが、存在の根源的問いである
それは、ひょっとすると、たぶん、自己を否定していく道であるが、自己を生かす唯一の道である。
存在の根源的問い
存在の根源的問いとは簡単に言えば、「わたしが居ていいのか悪いのか」ということである。
この問いを発するのは、他人の生を土台にし、その上に自分の幸福を打ち立てようとした
植民地主義の反省に始まる
簡単である、自分の労働以上に儲け豪家を享楽する自己に嫌悪したのである
当然と言えば当然、
同じ人間が、他を生贄として自分だけ享楽を恣にした
享楽とは、自己の性、自己の罠、自己の仕組まれた本能
しかし、
その罠に嵌まる事を畏れるものと、畏れないものとの共生
自分は自分で生きたい。
自分以外のものを踏みつけ、その痛みの上にのほほんと胡座するのか
それが、存在の根源的問いである
それは、ひょっとすると、たぶん、自己を否定していく道であるが、自己を生かす唯一の道である。
存在の根源的問い
存在の根源的問いとは簡単に言えば、「わたしが居ていいのか悪いのか」ということである。
この問いを発するのは、他人の生を土台にし、その上に自分の幸福を打ち立てようとした
植民地主義の反省に始まる
簡単である、自分の労働以上に儲け豪家を享楽する自己に嫌悪したのである
当然と言えば当然、
同じ人間が、他を生贄として自分だけ享楽を恣にした
享楽とは、自己の性、自己の罠、自己の仕組まれた本能
しかし、
その罠に嵌まる事を畏れるものと、畏れないものとの共生
自分は自分で生きたい。
自分以外のものを踏みつけ、その痛みの上にのほほんと胡座するのか
それが、存在の根源的問いである
それは、ひょっとすると、たぶん、自己を否定していく道であるが、自己を生かす唯一の道である。
存在の根源的問い
存在の根源的問いとは簡単に言えば、「わたしが居ていいのか悪いのか」ということである。
この問いを発するのは、他人の生を土台にし、その上に自分の幸福を打ち立てようとした
植民地主義の反省に始まる
簡単である、自分の労働以上に儲け豪家を享楽する自己に嫌悪したのである
当然と言えば当然、
同じ人間が、他を生贄として自分だけ享楽を恣にした
享楽とは、自己の性、自己の罠、自己の仕組まれた本能
しかし、
その罠に嵌まる事を畏れるものと、畏れないものとの共生
自分は自分で生きたい。
自分以外のものを踏みつけ、その痛みの上にのほほんと胡座するのか
それが、存在の根源的問いである
それは、ひょっとすると、たぶん、自己を否定していく道であるが、自己を生かす唯一の道である。
存在の根源的問い
存在の根源的問いとは簡単に言えば、「わたしが居ていいのか悪いのか」ということである。
この問いを発するのは、他人の生を土台にし、その上に自分の幸福を打ち立てようとした
植民地主義の反省に始まる
簡単である、自分の労働以上に儲け豪家を享楽する自己に嫌悪したのである
当然と言えば当然、
同じ人間が、他を生贄として自分だけ享楽を恣にした
享楽とは、自己の性、自己の罠、自己の仕組まれた本能
しかし、
その罠に嵌まる事を畏れるものと、畏れないものとの共生
自分は自分で生きたい。
自分以外のものを踏みつけ、その痛みの上にのほほんと胡座するのか
それが、存在の根源的問いである
それは、ひょっとすると、たぶん、自己を否定していく道であるが、自己を生かす唯一の道である。
存在の根源的問い
存在の根源的問いとは簡単に言えば、「わたしが居ていいのか悪いのか」ということである。
この問いを発するのは、他人の生を土台にし、その上に自分の幸福を打ち立てようとした
植民地主義の反省に始まる
簡単である、自分の労働以上に儲け豪家を享楽する自己に嫌悪したのである
当然と言えば当然、
同じ人間が、他を生贄として自分だけ享楽を恣にした
享楽とは、自己の性、自己の罠、自己の仕組まれた本能
しかし、
その罠に嵌まる事を畏れるものと、畏れないものとの共生
自分は自分で生きたい。
自分以外のものを踏みつけ、その痛みの上にのほほんと胡座するのか
それが、存在の根源的問いである
それは、ひょっとすると、たぶん、自己を否定していく道であるが、自己を生かす唯一の道である。
お手紙を頂きました。了解を得て掲載します
フト 石手寺のHPを開く。
自殺供養の日にちが迫っているの気付き メールをしてしまいました。
勝手に死を選び、自殺をしてしまった人。 しかし 苦しみを受けとめ 生きる道を 探しても見つからず 死んでしまった。 しかし よく考えてみたら 生きる道はある。
しかし 帰らぬ体。焼かれて骨になる。
我々が思う以上に 苦しみを抱え 一生を全うしたに 違いない。
一人一人が 弘法大師に 今もなお 抱かれ 生きている事に 私は 誇りに思う。 残された者は その苦しみを引継ぎ よい 世の中になり また あの世でも この世でも 生きて 生きる道を 互いに生きようと思う。
自殺は 病気。決して 世間で騒がれているような 事はない。 医学的にも 自殺者は欝と言う病気と言われる。 ガンで命を落として人と たいした差はない。 どちらも 苦しく悲しく。 ただ違うのは レントゲンに 写らない事だけです。深い悲しみ苦しみ。 もしかしたら 勝手に死んでしまう自殺者は、親孝行な人だろうと感じる。 私も 兄が 自殺をした。遠い知人、遠い親戚。そして 自殺願望者でもある。 しかし 弘法大師をみて思う 仏樣をみて思うこと それでも 生きらんと、いかんよね。と 下を向く。 合掌