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鎌倉時代の国宝重文7棟・四国霊場51札所・厄よけ開運・石手大師
子宝石
衛門三郎再生元気再//石手寺公式ホームページ

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国宝・重要文化財・パワースポット

国宝
パワースポット

寺の由来

由来
法隆寺文様の瓦が出土し法隆寺系統の荘園に立脚して六七〇年頃に最初の堂宇が建立された。寺伝には聖武天皇の神亀五年に伊予の大守越智玉純が霊夢を蒙り天人、二十五菩薩が来臨せらるるのを見てこの地を浄域として十二社権現を祠り勅願所と定めたとある。以来千二百有余年その状を古式により毎年再現して「お練り供養」として諸仏菩薩を供養している。式典に使用する古面、装束のうち菩薩、天人、獅子等は平安、奈良、鎌倉の諸代にわたる傑作で寺宝として宝物館に安置せらる。本尊は薬師如来で天平元年行基菩薩の開眼による。平安朝より室町期に至る間が最も隆盛期で寺域東西数十丁七堂伽藍六十六坊を有したが、永禄九年長曽我部氏の兵火のために十二間四面重層の金堂を焼失した。現在、「鎌倉の昔を今に寺の鐘」と詠まれるように鎌倉から室町初期の国宝重要文化財七件他多数の文化財を擁し、地方には希有の古刹である。また「伊予の秋石手の寺の香盤に海の色して立つ煙かな」(与謝野晶子)と詠まれ四国大師信仰の中心である。お茶道の大師尊像は弘法大師の御作であり、大師に悩みを訴える善男善女が後を絶えない。

寺名の由来

数里南の荏原の里に、衛門三郎という長者がいた。ある日門前に一人の薄汚れた僧が行き場もなく途方に暮れて「どこでもよいから一晩泊めてくれませんか」と懇願した。三郎は開墾に夢中で聞こえない。僧がしつこく頼むので彼は「わしは忙しい、仕事の邪魔だ、汚いものめ、働かぬからだ」と、突き飛ばし、僧が持っていた托鉢の鉢は落ちて八つに割れた。僧は実は弘法大師であったが落胆して去り、その後三郎の八人の男子が悉く死ぬ。衛門三郎は、最愛の子をなくし何も手につかなくなる。働き者であった彼を村人はいつしか、「強欲非道の怠け者」と呼ぶようになった。家も荒れ果て、ついに彼は家をすて身を忘れてあの僧に会いたいと出奔する。四国をまわること二十一回、いつしか三郎の姿はあの薄汚い僧に似ていた。彼はある所ではことごとく宿を断られ、ときにやさしく迎えられた。「ああ、人の心を知りぬれば、さはあらじを」。遂に阿波の国焼山寺の麓で病に倒れ息も絶え絶えになる。その時突然弘法大師が枕元に現れ「よくぞ修行し改心した。望みが有ればかなえよう」と言うと、三郎は「生まれ変われるものならば、領主に生まれ人を助けたい。今度こそはお泊めしたい」と言うと、彼の手に一寸八分の石に衛門三郎と彫み授けた。衛門三郎は安心して息を引き取った。それより幾許の年月をへてかこの地の豪族河野息利に男子が生まれたが右の手は握ったままで開かないので、この寺で祈願したところ手の中から”衛門三郎”と書かれた石がでてきた。そこでこの石を当山に納め、寺号を安養寺から石手寺に改めた。現在”衛門三郎玉の石”は宝物館に安置してある。(仏教入門1参照)