震災救援
阪神震災救援など

戦後60周年アジアが平和でありますように、侵略の反省と痛みへの共感をこめて
世界平和を祈願しつつ
スマトラ沖地震救援のページ 現在0604パクウィーブとナムケン援助状況
報告0503タイナイライ・カオラク・タクアパーへ行った  050901越智




参考

GYPSY VILLAGE PICTURES

スマトラ沖地震による津波災害支援活動報告記

JVC
PWJ
SVA


掲示板

会の名称
平和と笑顔の会  (Peace and Smile.)

目的
全世界の人々が、ひとしく暴力に恐怖することなく、また、生活資財の欠乏に苦しむことなく、平和な環境に心身ともに平和に生きることをめざし、災害の救援、生活再建、教育支援その他を行い、みんなの笑顔を消さないでの願いのもとに、生きる。

スタッフ
世話人 浄土真宗  福円寺 専念寺
真言宗  儀光寺 
真福寺 
乗禅寺 
円福寺 
法隆寺 
西沼寺 
代表 石手寺

当面の行動案
1)スマトラ沖大震災救援として、タイ南部のナイライ村の生活再建に援助する。船の修理その他を行う。一隻5万バーツ(1バーツ3円)(Sea Gypsy village of "Nai Rai", located in Phang Nga, where 107 homes were destroyed by the tsunami and some 500 people made homeless)
2)スマトラ沖大震災救援として、孤児の救援をする。未定
3)その他の、スマトラ沖大震災救援を行う。
4)上記目的達成ための報告活動を行う。
5)上記目的達成ための募金活動チャリティー等を行う。
6)タイ南部に視察する。
7)その他救援活動と祈りの会を行う。

会の運営方法
適宜世話人を招集して運営と行動を決定する。
事務局
代表は、上記決定に従って、事務局を置き行動を遂行する。


私の知っている坂田久美子さんからのメールです。彼女は下記グループで救援活動に入っています。


参考までに
タイのラックスタイ財団では、津波の災害にあっているプーケットを始め、タイ南方の湾岸地域で働くタイ人とミャンマーなどからの出稼ぎ漁民等の労働者を対象に、現地スタッフの増員等、支援を行う準備を進めています。
必要なのは、医療、被災者孤児の支援、仮説住居支援など・・・ということで、これらに必要な義捐金を緊急に求めています。

目安として、15000バーツで100人分の蚊帳と毛布。これは緊急に必要なものです。
パンガーとラノーンでは、200人以上の子供が親を失いました。
学校も流されて、ショックを受けた子ども達がパニック状態に陥っています。
また、被災した村人が家も船も失って、町の寺などに収容されていますが、家族を失った上に病気で苦しむ人々であふれています。

ラックスタイ財団では、こういった厳しい状況から立ち直って1日でも早く自分の村に帰れるよう、活動を開始しました。この記事をご覧になった皆さんのご支援をお願いします。


連絡先石手寺
郵便番号790-0852
松山市石手2-9-21
電話089-977-0870
fax089-977-2608


スマトラ沖地震による津波災害支援活動報告記

No.1
12月26日AM8:00頃バンコクにてホテル内で地震を感じる。トラン(南タイの観光・水産業・ゴム産業の街)の事務所に被害無いかを確認。異常なしとの回答あり。
PM3:00頃プーケットに津波が来たとの報告あり。急遽帰宅の準備をする。PM5:00頃タイ内務省防災局の公式発表で、死亡者数156人、負傷者2,131人ということで、大災害ではあるが、死者の数の少なさに安心する。南タイの友人の日本人や、タイ人に電話をするとかからなくなっており、連絡がついた人からは、知人が行方がわからないとの報告を受ける。
12月28日タイの市議会議員候補の方や、タイの友人に協力してもらいボランティアで、最も被害が、出ているカオラックに、支援物資を届けることにして、水・食料・衣類を用意して出発した。
また、行方不明者の捜索に関する情報も携帯電話を使いながら連絡をとっていた。私の班以外に、先行してKさんの班が、プーケットからカオラックに向かったので、私達は、パンガーからカオラックに入った。
Kさんと連絡をとったり、ラジオのニュースを聞くうちに、この災害は、公式発表とは、何か違うと感じました。
次々に走り行く不安げな顔をした人々の乗る車、みな家族を探す、人々です。パンガを過ぎて、カオラックの入り口に差し掛かると車が渋滞していました。救急センターも混乱のきわみで、支援物資は、タクアペイに持っていくようにといわれました。そのあたりから、一体は、魚の腐ったような海の生臭さが漂っていました。坂道を下り、カオラックの街に入ると、美しかった、ホテル街も、ビーチもありません、白人が好むやしの木陰の白い砂も何も無く、一面の瓦礫の山と、莫大な力で押し曲げられたコンクリートの電柱、根こそぎ抜き去られたやしの木が、海と反対の山に放り投げられており、そこここに押しつぶされ泥まみれになった車が転がっていました。その瓦礫の間に、泥まみれになり傷だらけの被害者の方の遺体が、押し曲げられたように木に絡んで転がっている
No.2
無残な光景を、見ているとこの世のものとは感じえませんでした。
その中を、黙々と作業するタイの人々のボランティアの姿を見たときは、感動しました。レスキュウ用の機材・資材も無い中で、ただひたすら人命救助のために、これだけの人が集まるのには、驚きました。
カオラックの国道には、泥がかぶりその脇には、遺体収容用の袋も無いため、黒いゴミ袋に入れた遺体が、延々と並んでいました。
その中で、ビーチには、美しかったカオラックエマロン&スパの屋根と躯体がまるで何も無いかのように夕日を浴びているのが象徴的でした。
ナントンに入ると、海側から山のふもとまでまるで濁流が走って何もかも、押しつぶしてしまったかのような光景でした。
すべての木が潮をかぶり、建物の1階部分はがらんどうになり、建物のほとんどが倒壊しており、小さな住宅が多く建っていた町とは、想像もできません。
ナントンソンに入ると錫をとっていた大きな窪地は、水で覆われており、その中にも車が沈んでいたり、遺体が未処理であることがわかります。
すべてのものを、奪い尽くした傷跡が、まざまざと見えており、見渡す限れ瓦礫と遺体の山の中で、地元の人の姿が、まったく見えないのには驚きました。ひょっとするとこれは、大災害になるのではと、肌寒さを感じました。
タクアペイに入ると、電気の明かりがあり、災害に遭っていないことが確認できました。指定のお寺に近づくに連れ、異様な臭気に包まれており、入ることさえ躊躇する状態でした。
寺の中には、数限りない遺体が、運び込まれており、それを整理するのに、混乱しておりました。
支援物資を、降ろしてボランティアの方に、必要な物資はあるかと聞くと、手袋、長靴、マスクということでしたので、翌日とどけることにしました。Kさんの探している方を探すために、写真を見たりしましたが、とてもまともに見れるものではありませんでした。
また、ヨーロッパのボランティアの方々が案内デスクを、設けているのには、感動しました。
トランに帰るくらい国道を、遺体の入った棺おけを積んだ、何台もの車を追い越しながら、この災害の被害者が、各地に広がっているのを感じました。ソンクラー・ナコンシー・ナラチワット・パタニー・スラータニ等タイの各地、また、ミヤンマーからの出稼ぎの人、イサンの人、そして、タイの人々に救われてる我々外国人。それを考えると、何かできることを手伝わなくては、と考えました。
No.3
12月29日昨日依頼された、ゴム手袋等を、トランの水産加工工場TRS(トランシーフーズ)から集荷して、カオラックに出発する準備をする。
バンコク在住の友人たちに連絡すれど、協力してくれたのは、H氏・T氏のみであり、ボランティアの困難さを痛感した。
したがって、日本人7名・タイ人3名の即席ボランテイア部隊が誕生した。その旨を、大使館に連絡したが、混乱しており、了解をいただいたのは、夕方でした。今後は、大使館及びプーケット連絡調整事務所と相談の上、行動することといたしました。
12:30トラン出発カオラックに向かう、途中各地病院で日本人の有無を確認、搬送および帰国データーの整備が遅れていることが判明。
カオラックの国道周辺は、復旧工事が迅速に進められており、道路の土砂も昨日とは、比較にならないほど撤去されている。電柱の建柱工事は、急ピッチで進んでおり電気の復旧は、早期に可能と判断した。また、遺体回収は、瓦礫撤去が終了しなければ、本格化せず、腐敗臭が充満し、衛生状態はよくない。衛生管理面での人的援助、薬剤援助が早急に必要と感じた。タクアペイ病院に到着、K氏と合流、捜索者の所在について判明している内容を確認、遺体確認が1名判明したことを聞く、うかつにも、K氏が、NHKの記者に喋ってしまった事が、遺族からの不快感をあおり、ボランティアの困難さを痛感する。
タクアペイ病院での外国人ボランティアの捜索者に対するケアは、優れており学ぶ必要があり、情報管理とその公開度合いは、優秀である。
No.4
PM18:00クラビよりTR氏・TS氏到着。クラビの状況が悪化している旨報告受ける。
No.5
AM11:00棺おけも、寄付が順調に集まっており、物資的には、カオラックについては、問題ないように見えた。
タクアペイの遺体収容所では、遺体のDNA採取が進んでいるのと同時に、遺体の写真による確認作業が進んでおり、これにも、海外のプレスの記者が、協力していました。
No.6
クラビの日本人では、TT氏・F氏が参加してくれた。クラビの街は、遺体安置所が小さいこともあり死臭が激しく町中に香りが流れている。夕方になると、死体が運び込まれてきており、カオラックに比べて、死体損傷が激しい。当初は、死体袋も無く剥き出しであったが、物資輸送が軌道に乗った為死体袋に入って運ばれるようになった。また消毒薬が定期的に道路に散布されるようになったが、遺体安置所に出入りする家族等が、無神経に無防備で出入りするのを指導するのに大変である。
1月3日AM9:00遺体安置所前で消毒作業AM11:00プーケット連絡調整室より遺体安置所前作業の中止する旨の相談があり、2次感染防止のため、応諾し、撤退の連絡をする。
No.7
1月5日プーケット日本人会のボランテイアも終了する旨の連絡ありプーケット連絡調整室へ被災者支援ボランテイアの終了報告をする。ただし、今後は、復旧支援対策でのボランテイア活動を現在のネッワークで継続していく事をトラン在住メンバーと確認した。
以上ご報告いたします。・
追伸ボランテイアの最後にあたり、皆様方のご協力と忍耐には感謝という言葉でしか表現できません。大使館の方々、タイ国の方々、各団体の方々、夫々のお立場が、あるにも拘らず、快くご協力していただきありがとうございました。また、これからは、復興支援の形の中で、何かお願いをすることが、あるかもわかりませんのでよろしくお願いいたします。なお、このようなことが無ければ、知りえなかった方々が、数多くできました。これを機会に、せっかく持ち寄った小さな力を、生かす道も模索して、外国に暮らす利点を生かして、日本のため、ひいては地球のためになる、小さな事を皆で楽しくやりたいと考えています。


2005年1月9日小澤嘉崇

日本の方へのメッセ−ジ
私が、なぜこの歳でボランテイアをやろうとしたか、それは、私が、自分自身が歳を取り死する場所を、海外でと決めたときに、日本人として恥ずかしい死に方は、したくない。そして、少しでも日本人は、優れた地球人だと、周りの人に思われたい。狭くて、小さな日本で、細かいことを見つめて世界に貢献してきた日本人、でもその長所は、ほかの大陸育ちのものには無い、きめの細かい技術です。それを、世界の人に提供してください、盗まれたっていいじゃないですか、また作ればいい。大陸にいれば、隣の国の人が、いつでも踏み込んでくる。、日本は、戦争もしないほどやさしい国ならば、このような時にもっといち早くどの国の人でも助けようとしないのでしょうか、日本人が、あまり死んでいないからでしょうか。どんなに優れた民族も、世界の中ではただの人、助けるときも、助けられるときも、同じ空気を吸っている。地球に住んでる限りは、同じバケツの中の水と同じで、今日は、右側が、水が多いと思ったら、明日は左かも、濁る時も、腐るときもみな同じです。と、私は、考えています。だから、この津波の復興は、みんなで考えて、できることをやりましょう。支援なんて、カッコウつけないで、皆ができることは、観光地が少し壊れても、それを受け入れて、遊びに行ってあげて十分楽しむことです。我儘言って、お金を消費してあげれば、みな助かるのです。ロングステイも、大歓迎です。そして日本の中では、皆さんが、よく働いて、お金を稼いで、もっとお金を使って、被災地の商品を買うことです。そうすれば、自然に被災地の方々に貢献することになります。ぜひ、これから皆さんで、いろいろな被災地へのチャリテイの企画があったら、参加してあげてください。もし可能ならば、私が日本の皆様に望むことは、息の長い支援としての災害時育英基金の設立です。これにより将来の日本を支援してくれる、人材が育成できれば、日本にとっても非常によいことだと考えます。(この提案は、タイのプーケット地区の国会議員からのものです。)最後に、このボランテイア活動にご協力していただいた、皆様に深く感謝いたします。この活動で、新しき仲間もできました。その輪を広げて、ほかの国へも微力ですが、お手伝いしようと考えております。ぜひ、南タイにお出かけください。皆様の、ご健康とご発展を、お祈りいたします。青き空のもと、南風のもとで、乱筆乱文を、お許しください。