31日 1日 御利益は笑顔 パピーブの仮設住宅
約80世帯、150人
両親を失った子4人
どちらかを失った子23人
モーケンの村パカランケープに住んでいた。村は形跡もなく流されていた。家も船もない。
家は12万バーツ。船。船も同じ。
ご寄付ください。持っていきます。
後である人に言われた
「加藤さん、顔が生き返っているよ。タイに行ってる時の顔が良いよ。御利益は笑顔や。」
ボランティアして笑顔をもらって笑顔を回復した。
御利益は笑顔
息子夫婦を失ったというおじいさん。孫の面倒を見ている。
国が建てたという幼稚園。絵本、文具が揃っている。後日、イソップ絵本、紙、画用紙、ルーラー、クレヨン、折り紙などを寄付。子どもにも一人一人渡す。楽しく遊ぶ。
後日行くと、垂れ幕が替っていたイタリアのグループの名が載っていた。寄付をしたのか。裏手に日本人が100万円の寄付で建てつつある図書館があった。
遊具もボランティアグルーフによって充実している。将来この仮設住宅の人々が移っていく建物が近くに建設中。ただし1棟12万バーツで寄付待ち。
左端が通訳のオーさん。真中が国家公務員?オーボトー(地方行政機関)のダ・エーさん。
4月1日
私は船と家と奨学金のことを、交渉していた。
後のスタッフは楽しそうに遊んでいた。お菓子を配ったり、絵を描いたり。
すぐに友だちになるのはどうしてだろう。子どもはどこでも大人と遊ぶのが好きだ。
つづく久しぶりにアジアを旅した。いろんな人に会った。
コラム 人に会った
はじめに、先住民族モーケン族のおじいさん。彼はパカランの浜辺に住んでいた。津波で息子夫婦を亡くした。孫が二人居て、一人は新築された幼稚園で寝ていた。もう一人は十四才で、仮設住宅の隣部屋で一人で住んでいるという。取り敢えず無職で、当分そのままだろう。顔も手も皺だらけで、なんとも労働の苦労がしのばれるが、無口だった。お礼を言うとやっとにっこり笑顔をくれた。
おじいさんが居る仮設住宅は、約八十世帯。百五十人ぐらいが住んでいる。両親とも失った子が四人、父母のどちらかを失った子が二十三人。たくさんの人が死んでしまった。子どもたちは元気に見えたが、ほんとうにつらい人々は部屋を出て来ないのだろう。クレヨンと画用紙を配るとうれしそうに、絵を描いてくれた。そして戸外で遊んだ。
ある僧侶に言われた。写真を見て、「加藤さん(タイに)行っている間、顔が生き返っているよ。布施して御利益は笑顔や。」なるほど、ボランティアを布施して御利益は笑顔か。どんな事をしても得られそうにない御利益だと思う。ただひたすら、なにかできないか。困っている人々に力になれないか。そんな気持ちで行き、何もできない自分に焦燥感を強めていた。そんな時、スタッフと子どもたちの遊ぶ風景は救いだった。笑顔が美しい。こんな笑顔をもらった。
人間が生き返るのは難しい。特に自分自身が生きるのは難しい。
感謝や笑顔。そんな宝物をもらう瞬間は生涯にそんなに多くはない。