「釈迦の道」(石手寺出版)より

手足を切り取られ燃えあがる薪の上へと生きながらにほうり投げられる。

カ−ストの違う被差別者をよってたかって、なぶり殺しにする。誰も助けない。耐えているのか、それとも悠久の昔に、反抗の力を感覚に失ったのか。そこへ、異教徒の群れが斧を振り降ろしてくる。報復と怨みと敵意。とどまるところを知らない怒濤の流れ。

街を埋めつくしているのは、やせほそり、小枝のような手を伸ばしてくる貧民の群れ。そして、彼らの存在を知らぬかのように闊歩する中産階級。彼らは雄弁に議論するが、それは、ただ時間を飲み込むだけの浪費にすぎない。彼らは、低カ−ストをののしり、おさえつけ何とも思わない。された者も、たんに無抵抗である。その上に超富豪。人身の売買までも自由に行う。

あやしく、うつくしく着飾られた、美と思想を纏いながら、

インドは考えられる限りの悪徳と残酷を呼吸する。

 

 見よ。人々は互いに闘争している。武器を持ち、恐怖におののいている。(S935)

 水の乏しい中で魚がのたうちまわっているかのように、人々は恐れ震えている。人々は互いに衝突し障害しあっている。(S936)

 実に人々は動揺している、互いにせめぎあっている。良い方向へ、悪い方向へ。そして、その手にしたもので人々を害し、自分を損なう。(S935)

 生あるものには死がある。手足を切断され、殺され、捕らえられる恐怖がある。生あるものは苦しみに会う。(TG1)

 人々は争い、論争する。そして、負けては嘆き悩み、勝っては自惚れ高慢になる。また、横着になり、また、陰口を言う。(S862)

 勝利からは怨みがおこり、敗れた者は苦しんで臥す。(D201)

 人は、田畑、宅地、黄金、牛馬、奴隷、使用人、婦女、親族、その他いろいろの物をむさぼる。(S769)

 得てはは喜び、時には悲嘆し(D766)、怒り人を害す。誹る。

 人々はやがて老いて死ぬ。(S804)

 異教の恐れがある、病気になる、飢える、家を失う、強盗がある、嘘や詐欺がある、弱肉強食がある、怒りがある、高慢がある、快がある、不快がある、食物がいる、衣服がいる。(S965)

 寒さと暑さと飢えと渇きと暴風と灼熱と毒虫とがある。(S52)

 人々は、おどおどしている。おずおずしている。そして、いらいらし、飢え、怒り、怨み、人々は動揺していてまったく堅固でない。

 

安住の住居は?

 

安住している人はかえって争っている。

 

人々に矢がささっている。

その矢が人々をさまざまに走らせている。

 

真実、謙虚、空虚でなく、悪口を離れ、怒りなく、所有悪と貪欲を克服せよ。

眠気、心の倦怠、頑固、怠け、思い上がりを克服せよ。

偽りの言葉(思考、命名、判断、好き嫌い)や色形(物、肉体、欲望の対象)に欲望を起こすな。

自我意識(自分こそがと思っている自分)を良く知れ。そして、吹き荒れる欲望の猛威から自由になれ。

過去にこだわるな。新しさに待望するな。

欲望におおわれたこの世にあって束縛を超えよ。

結局、『これこれは私にとって何々である』という名前と『私を惑わす』物に恋焦がれないならば、私の何々がないといって嘆かない。

所有や所属を区別しないことである。

荒々しくなく、飽かずむさぼらず、飢渇せず、どこにあっても融和して平等である。

欲望を離れるものは、良く知るから、なんら滅ぶものがない。

他によりかかるということをやめているから、あらゆるところに平和の充実を得る。

このままいたいとか、悪くならないかとか、もっとよくとか、言わない。

安らぎ、うらやみを離れ、取ることがなく、捨てることがない。

 

 

わかち与えること

 おびただしい富あり、黄金あり、食べ物ある人が、ただひとり美味を食するならば、これは破滅への門である。(SN104)

 最上の人は、法に従い、努力精励して得た富を人に与える。彼は最上の思惟あり、疑いのない人である。幸せの場所に赴き、そこに行っては憂いがない。(AN1,129p)

 与える前にはこころ楽しく、与えつつあるときには心を清浄ならしめ、与えおわっては、こころ喜ばし。(AN3,337p)

 広野の旅の道づれのように、乏しき中からわかち与える人々は、死せるものの間にあって滅びない。これは永遠の法である。(SN1,18p)

 もし、与えることの果報を知っていたなら、他に施さず、自分だけで食べることをしないであろう。また、物惜しみの煩悩の垢が、彼らの心をとらえて離さぬようなことはないであろう。(ITI26)

 わかち合い、与える人は幾百の障害に打ち勝つ人である。もし与え合わなければ、戦闘が待っている。与えることの困難さは戦争の困難さに等しいが、これによって戦いはなくなる。また、その人は、もう一つの敵である貪欲と利己欲・物惜しみを越えることができる。

 捨て与えるとき、このように思う。

「ああ、われに利がある。善く得たものがある。われは物惜しみの垢にまとわられた衆の中にあって物惜しみの垢を離れた心をもって住み、気前よく施し、その手清く、頒布を楽しみ、他の人が乞い易く、財を均分することを楽しむ」と。

 このように思うとき、彼の心は貪欲にまとわられず、怒りにまとわられず、迷いにまとわられず、真直である。心の真直な者は、義についての熱意を得、法についての熱意を得、法によってひき起こされる喜悦を得、喜びが生じ、喜びによって身体が軽やかになり、身体が軽やかになった人は安楽を感受し、安楽なる人の心は統一される。(AN3,287p)

 他人を苦しめることによって自分の快楽を求める人は、怨みの絆にまつわられて、苦しみから脱れることができない。

いつくしみ

 もし人が、ただひとつの生命にも、憎むこと心なく、いつくしむならば、彼は善人である。すべての生命にいつくしみの心もつ者は聖人であり、多くの功徳をつくる。

 生あるものの満ちる土地を征服して、犠牲祭を行うものは、いつくしみもつものに遠く及ばない。

 殺さず、殺させず、征服せず、征服させず、生命あるものすべてに対し、いつくしみをいだく人には、いかなるものの怨みもない。(ITI27)

なかま

 サンガ(なかま)の調和は楽しく、調和する人々は、益を受ける。平和を喜び、正しさの中に住まう者は、束縛からの心の安らぎを失わず、サンガ(僧団)の調和を守って、永久によき境涯の中でよろこび楽しむ。(ITI19)

戒律

不殺生

 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身にひきくらべて、殺してはならない。殺さしめてはならない。

 すべての者は暴力におびえる。すへての者にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならない。殺さしめてはならない。

 生きとし生きる者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害するならば、彼はやがて幸せを得ることができない。

 荒々しいことばを言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。

 こわれた鐘のように声をあららげないならば、汝は安らぎに達している。汝はもはや怒りののしることがないからである。

不偸盗

 与えられていないものは、何であっても、またどこにあっても、知ってこれを取ることをやめよ。また他人をして取らせることなく、他人が取るのを認めるな。すべて、与えられぬものを取ってはならぬ。

不邪淫

 淫行さけるようにせよ。

 もし、できなければ、不倫(他人の妻、夫)は決していけない。

不妄語

 何びとも、偽りを言ってはならない。また、他人をして言わせてはならない。容認してもならない。真実でないありもしないことを語ってはならない。

不飲酒(麻薬)

 精神を錯乱させる酒(麻薬)を、飲んでも飲ませてもいけない。また、容認してはいけない。これは、ついに人を狂わせ、怠惰にし、悪事をなさせる。

 

 

悪につきまとう果報

 すべて悪きことをなさず、善いことを行い、自己の心を清めること、これがもろもろの仏の教えである。(DHP183)

 戒行を失するものは、

一、財産を散失する。二、悪い評判が来る。三、人々と出会うとき恥じながら近づく。四、心が迷乱して臨終を迎える。五、死後、安まらない。(AN3,252p)

財の意義

 財は四つの業をなす。

一、自分を楽しませ、正しく幸福を守る。家族や共に働くものを楽しませ、正しく幸福を守る。友人や朋友を楽しませ、正しく幸福を守る。二、火、水、国王、盗賊など災害より守る。三、周りの人々を潤す。四、布施の行を積むことができる。(AN2,67p)

 

世俗の戒め

飲み友だちというものがある。君よ、君よ、と呼びかけ、親友だと彼はいう。

しかし、事が生じた時こそ味方となってくれる人こそ友なのである。

一、なんだかんだと理由をつけて仕事せず、太陽が昇ったあとも寝床にあり、二、他人の妻になれ近づき、三、闘争にふけり、四、無益のことに熱中し、五、悪友と交わり、六、ものおしみし、強欲なこと。

これらは人を破滅に導く。賭博と酒とセックス。うかれ戯れと放歌。好眠。非時に街を遊び歩く。悪友に親しむ。物惜しみと強欲。これらは破滅に導く。

何でも取っていくだけの友。ことばだけの友。甘言をかたる友。遊蕩の友。この四つは敵である。

 

助けてくれる友と。苦しいときにも楽しいときにも友である人と。ためを思って話してくれる友と。同情してくれる友と。実にこれらが友である。これを知って、真心こめて、かれらに尽くせよ。あたかも母がおのが子をいつくしむように。

戒めをたもっている者は、光輝く。

蜂が蜜を集めるように働くならば、かれの財はおのずから集まる。あたかも蟻の塚が高まるように。

このように財を集めては、かれは家族を潤す善き人となる。

その財を四分すべし。すれば彼は朋友を結束する。

一分の財を自ら享受すべし。四分の二で仕事を営むべし。残りを蓄えよ。窮乏の備えとなる。

 

また、父母に、師に、連れ添いに、友人に、共同者に、修行者に対し、尊敬し、

学識あり、戒めを守り、柔和で、思慮あり、謙譲で、ひかえめの人、

かれは名声を得る。

勇敢でおこたることなく、逆境にたじろがず、行い乱れず、聡明な人、

かれは名声を得る。

人々をよくまとめ、友をつくり、寛大でもの惜しみせず、導く者、指導者、順応して導く人、

かれは名声を得る。

わかち与えることと、親愛のことばを語りかけることと(愛語)、ひとのためにつくすことと(利行)、協同することと、欺かないこと、

これらが、この世における愛護である。あたかも、回転する車の轄のごとくである。

これを行うならば、尊敬と助け合いを得、

賢者はこれらの愛護をよく観察し踏みはずさないが故に、偉大となり、称賛を博するに至るのである。(DN31)

 

僧の告白

慢心

私は、生まれを誇り、また財産と権威を鼻にかけ、身体の色と形を大いに誇り我が物顔に歩き回った。自分こそ勝れていると思う慢心に傷つけられ、愚かで、頑迷で、傲慢であった。母も父も尊敬すべき人にたいしてさえ、高慢、頑迷で、尊敬の念を持たなかったために、一人も敬礼しなかった。しかし、ブッダとその修行者らが敬っている様を見て、わたしは、高ぶりとうぬぼれを捨て、清らかな心をもって、敬った。

自分がすぐれているという慢心と自分より人が劣っているという慢心も捨てて、そして、よく除いた。「われあり」という慢心も断たれ、あらゆる慢心が滅び、心の平和がおとずれた。(ジェンタ長老,TG423)

 

人の死

生まれたものには、生の次に必ず死がある。実に、いのちある者どもには、このような定めがある。他の人々がその死をどう価値あらしめるかは、死者にとっては意味のないことである。死者にたいして泣き悲しむことは名誉でもなく、この世の利益にもならず、讃えられるものではない。泣き悲しむことは、いたずらに、身体を損ない、容色と体力と智恵を衰えさせる。もしも、彼が悲しみを克服しようと立ち上がり喜びを見せるならば、周りの人々は好意をよせよう。たとい、彼が幸福でなかったとしても。(マハーカッピナ長老,TG553)

 

心の平和

これらの生類を打ち、殺し、苦しめようという思いをあれから長いあいだ起こさない。ブッダの示されたとおりに、慈悲を無量にあふれさす心の法が修養され、次第に積み上げられたことを、私は思い起こす。

あらゆるものを味方とし、あらゆるものを友とし、あらゆる生類の慈愛者である私は、常に、怒らぬことを楽しみ、慈心を修習する。(ゴーダッタ長老,TG646)

 

人間のもろもろの感覚器官は、利益ともなり不利益ともなる。よく守護されなければ不利益となり、守護されれば利益となる。(パーラーパリヤ長老,TG728)

 

このようにして、盗賊アングリマーラは、刀と武器を投げ捨てた。そして、ブッダの足を頂いて敬い、出家を請うた。ブッダは、「来なさい、修行者よ」といい「だれでも、以前には放逸であっても、のちに放逸でないところの者は、雲から離れた月のように、この世を照らす。そのなした悪い行いが、善い行いによって覆われるとき、雲から離れた月のように、この世を照らす」と、告げた。(アングリマーラ長老,TG869)

 

か弱い身で、みずから首をはねた者もある。毒を仰いだ者もある。死児が胎内にあれば母子ともに死ぬ。私は分娩の時が近づき、歩きよる途中に、夫が路上に死んでいるのを発見した。私は、我が家に達する前に子供を産んだ。二人の子どもは死に、夫もまた貧苦のために死に、母も兄弟も薪に焼かれた。さらに、私は墓場に見た。子どもの肉が食われているのを。私は、一族を失い、夫を失って、世人には嘲笑されながら、不死を体得した。八聖道により、煩悩の矢を折り、重き荷をおろし、なすべきことをなしおえた。安らぎを現にさとって、真理の鏡を見た。(キサー・ゴータミー尼,TriG217)