釈迦の出家

結論、四門出遊説は間違いである

 お釈迦さんは29才で出家する。その原因は、釈迦国のお城の三つの門から出ると、赤ちゃんの誕生、年寄り、病人、死人に会ったというものである。これを生、老、病、死というが、人が永遠の命と栄華を楽しむことが出来ず、老い、病気になり、死んでいくということを見て、お釈迦さんは家を捨てて出家したというのである。

 これに対して、お釈迦さんの出家は別の動機で成されたという人もいる。例えば、非差別民の救済に尽力したアンベートガルさんや、戦争体験から、釈迦の出家は非戦の思いであると言い切る人々である。アンベートガル(参考図書)(ブッダとそのダンマ)さんの意見は、シャカ族と隣国との争いの中で、戦闘派と、反戦派に分かれ、その反戦派の旗手であったお釈迦さんは、協議の結果、少数派となり、その責任をとって、自ら家を出るという道を選ぶというのである。

 この話と平行して、石手寺の俊行さんは、お釈迦さんの出家は、隣国コーサラ国との戦争回避の為であるとする。年を若くして家族を捨てると云うことは、如何にお釈迦さんであろうとも許されるかどうか。後にシャカ族が皆殺しにされるという悲劇に遭い、一族の助かったものは多くが出家していたという事実から考えても、説得力がある。少なくとも、生老病死をみて何故人は苦しむのだろうと思った顔色失った青年の出家よりは、同感しやすい。出家とともにもう一つの大隣国マガダ王と会う記述や、後々コーサラのシャカ国への出撃に対してお釈迦さんが三度止めようとして遂に攻められる記述などからして、戦乱と出家のコントラストは少なくとも、一つの事実である。

 それは、武器よさらばの詩(最古のお経の一つとされる経集の935 偈)書かれるように、お釈迦さんの一大テーマであったろう。人々が反目し、仲良くしないことへの驚き、煩悩による敵対と生きにくさこそお釈迦さんが問題とした中心であったのではないか。人間存在自体が解脱の対象であったのか、それとも人間の中の痛々しい部分特に敵対、反目、殺し合いというものへの取り組みと、それからの自由が目的だったのか。この点をどう捉えるかによって、仏教観は大きく転換する。

 状況に関わらない自由を説く所に仏教の普遍性はある。しかし、この地球に現在生まれて生きているということがある以上、私達は死なない限り私達であり続ける。ならば、その生きさせて貰うという現状、状況に即して解脱は成り立つであろう。生きようとする瞬間に、私達は状況へとのめり込み、状況へとのめり込む瞬間にとらわれ始めるとともに、自由を模索し、自由な見方を確立し、そしてまた状況の中にいる自分を状況との関わりの中で見なければならない。それは、お釈迦さんを見るときにも同様であり、お釈迦さんの状況抜きにお釈迦さんを語ることの方が、無=無意味であることではなかろうか。

 或いは、全く状況へと関わらない生き方をすればであるが。