集団的自衛権を語る会 第一回予定と報告

抗議の仁王門閉門坐禅
第三回予定と報告
第3回会合 10月11日午後1時半石手寺新館
私の尊敬する臼井弁護士登場予定



現在進行中の、集団的自衛権を可能とする憲法解釈閣議決定の案と手続は、違法であるとともに、国民の生命と思想行動の自由を損ない、他国民の命を奪うものとなる可能性が、深く憂慮されます。

この危機を知る今、疑問を持つ者が集い、意見を述べ合い、さらなる行動提起に向かいましょう。こうした緊急行動こそ、平和憲法の礎となられた幾千万の人々の苦難と悲痛にたいする真摯な態度表明であり、この人々が遺してくれた希有の英知を受継ぐ行為である、と信じます。

今こそ、不戦を誓い平和憲法を護り抜く者が集い、恒久平和を目指して努力しようではありませんか。



ところ・石手寺仏陀研究館 (駐車場・石手寺奥道後より石手郵便局手前の更地)
松山市石手二丁目9?21
電話089?977?0870
HP: nehan.net
e-mail;ishiteji@nehan.net
呼びかけ人・不殺生祈りの会、共催自由

仏教タイムス
 
大戦争があって平和が語られる。そして、戦争が忘れられるころ戦争が始まる。
 お寺にはパゴダがある。そこはビルマ戦線に戦没した県人五千の戦士が祭られている。その創設は戦後30年。多くの戦友が居られて生き残った何十倍の死者 を弔っていた。その口癖は「二度と戦争はしてはならない。どんなことがあってもいけない」であった。いま戦後70年が経ち、戦友は没して集まる人は減り戦 争放棄の声は弱まっていく。
 もしもである。もしも戦友(前線体験者)がもう少し長生きしていたら、只今の海外武力行使可能の扉を開くことに命を張って反対されたであろう。私は供養 を任された祭司として、戦没の方々に誠に申し訳なく思う。そこに刻まれる「今も山河慟哭す」のその意味を伝えたいという、その死と苦難と引き換えに得た真 理を、いま正に失おうとしていると思われてならない。失えばまたあのような悲惨を経てのみそれは得られる。
 中村元・荒牧典俊先生が最古の経であるとするスッタニパータ(Sn4章特に15経)には釈尊の肉声と推測できる叫びがある。「武器を手にして恐怖が起 こった。私のみならず人々は互いに争う。・・・その闘争の原因は自分に刺さる見えない矢であり、それを抜けば闘争なく苦しみはない」と。思えば、釈尊の一 族は皆殺しにされる。インド十六国がマガダ国へと統一される。この闘争の中、釈尊は武器を取り、他人殺しを恐れ、われと人々の欲矢を抜いて和合僧集団を宣 揚した。だからサンガは不殺生(殺人や人身売買の禁止)を第一戒律としたし、相手の立場に立って痛みを知るという慈悲を説くし、殊更に人間の平等を説く。 たとえば「みんな目も手も足も二つ。違うのは何人だなどの呼称だけであり、人として何処が違うのか(Sn3-9)」と。
 その後、アショーカ王がインドをより大きな帝国へと統一するが、そのとき王は「私が殺した人々は何万人もであり、そのなかには優れた人々もいてむごいこ とをしてしまった」と後悔して先の釈尊の教えを広める。殺戮と悔恨の繰り返しで仏教は世界に広がった。しかしその後、仏教は死後平安の為の教あるいは、万 物斉同的空という観念上の諦観教に堕す。
 そして、釈尊より二千五百年後、第二次大戦の累々たる屍の惨禍苦悩をへて、戦争放棄が一国の憲法として確立するのは、まるで釈尊の和合僧集団が膨れ上がって国家となったかのようである。ついに釈尊の平和の夢は国家規模となったのである。
 平和憲法には大きく二つのことが書かれる。
@戦争という悲惨さをなくすには、あくまで戦争をしないという方法があること。
A平和を愛する国民が連帯することによって平和が確立すること。
 @は不殺生戒であり私はあくまで専守防衛に限ることだと考える。Aは相互信頼であり誰でも和合僧になるという「苦の器としての人間」の尊厳の確立であ る。私は特にAを賛嘆する。あらゆる人間に敬意をはらうことである。釈尊はスニータが入門しようとしたとき、国籍や門地を問わず「よし」とのみ言った。互 いに尊厳ある人として認め合い尊重し合うことこそが、仏教の根本精神であり、人種や国籍に拘らない人間の平等観、有情観、これが今の日本国憲法には明快に 記されている。
 昨年来、今政権は、武器輸出、ODAの軍事転用などを認めて国益を個々人尊重の上位とし、秘密保護法で人権を抑圧し秘密国家の体をなし、そして遂に専守 防衛に限っていた自衛隊員を他国での戦闘に当たらせることに繋がるであろう諸法律を超法規的に通そうとしている。この法律が整えば、政権は戦争突入のフ リーハンドを持つことは明白である。
 イラク戦争の時でさえ、自衛隊は戦争に巻き込まれる瀬戸際に居た。今回は発砲することを許可されているし、しなくては他国を救えない状況となる。あの 時、この小さな寺に八十カ寺の賛同が揃って戦争反対したことを思い出す。そして、しなくて良いイラク戦争によって、何十万の人が死にその家族が呻き、そし て現在の憎しみの大地があることを日本国もその責任者の一人として正視しなければならない。
   トルコも日本も「集団的戦争権」か‐
                          望月佳重子

 トルコに関心があるのは、日本と同様、政治的に引き裂かれているからです。欧米のようになりたい願望と、自分自身の宝を護りぬきたい願望とに。トルコの宝は、優美寛容なイスラム文化に基づく政教分離の共和制。日本の宝は、世界に誇れる憲法。誇れる共和制は存在しません。この原稿は、トルコに六度目の滞在中、再び、民と大地と歴史の豊かさに打たれながら書きはじめました。

 私の国は今、集団的自衛権案で憲法九条が危機に陥り、憲法全体も反動ファシズムの自民党案に沿って改悪されそうな状況。武器輸出三原則は、さらにズタズタ。落ち目の経済下、和製軍需産業を拡大したい和製ネオコンは、税金も下げてもらってウハウハに違いありません。

 トルコのクニは、EUに加入して「先進国」とやらの仲間になりたい半面、七つのクニグニと境を接する南側はシリア、イラン、イラクというムスリムの同胞です。オバマが率いる欧米諸国による「イスラム国」空爆加担に、トルコは苦渋、躊躇と数日前に書いたら、9月27日、エルドアンが加担を決めてしまいました。

 9月30日付けの『カタール・タイムズ』によると陸上部隊を送る、と。軍事面でのアメリカ依存が凄まじく、広大な軍事基地提供の悲痛な現実は沖縄のそれと同じだからです。トルコのまともな知識人は、わがクニはアメリカとEUの愛玩犬、と憤っています。大体が「イスラム国」はCIAの創作、と。

 それでも食料自給率90%のトルコは、東西南北の要として、困難でも独自の道を歩むでしょう。総生産の50%が賄賂という堕ち目のEUが、トルコからの移民に何をしているか、自身の欲望転化のためトルコに何と酷いセックス文化観を押しつけてきたか、アメリカに倣い愛玩犬のように扱っては何と蔑んできたか、日本人なら分かるでしょう。自分の鏡ですから。同時に「トルコ風呂」や「トルコ嬢」に、毅然たる駐日トルコ大使が止めていただきたいと申し入れるまで、鈍感でしたから。

 さて、私たちの「語る会」は量より質の自信と自負はあっても、大盛況とは無縁かもしれません。匿名の世論調査では集団的自衛権案に反対多数なのに、個人としての国民の多くは意見も述べず行動も起こしません。この無責任が、人生最悪の危機を前に、悲しいです。長いものに巻かれたまま、あの戦争の歴史を繰り返すつもりでしょうか。しかし私は、宝の護りを絶対に諦めません。
●「9条の意味」の実現を

   井上澄夫 米空軍嘉手納飛行場・一坪反戦地主

 7月1日の閣議決定による集団的自衛権の容認は「究極の解釈改憲」だった。「究極の」とは吉田茂による「最初の解釈改憲」がついにここまで達したという意味である。憲法9条は武力による個別的自衛権の行使を否定していないという歴代保守政権による恣意的な解釈が、世界有数の軍隊の保有を許した。そのあげく、安倍政権はその軍隊=自衛隊が他人のケンカを買って出ることを「9条の法理に基づく」として認めたのである。

 7・1閣議決定をもって、日本は「戦争をする国」あるいは「戦争できる国」になったという主張が噴出している。それは正確な現状認識だが、実に不思議なことに「究極の解釈改憲」を許したことを、これまでの9条改憲反対運動の決定的な敗北と率直に認め、反省や自己批判を表明した例をほとんど見かけない。

 8月6日のヒロシマ・デーに数紙に掲載された反9条改憲運動の意見広告を見て驚いた。ほぼ一ヶ月前の7月1日に安倍首相による解釈改憲が強行されたにもかかわらず、歴史を画するその日付、〈7・1〉も強行された暴挙の政治的意味を定義する「解釈改憲」という言葉も見当たらないのである。「集団的自衛権行使容認閣議決定は憲法違反」というメッセージはあるが、その深刻な違憲事態がもたらされたことについて意見広告を続けてきた運動主体としての責任への言及はない。真摯な反省は広告で表明されていないのである。曲がりなりにも続いてきた「平和国家」がついに「戦争国家」に転換し、戦後が最終的に終らされた〈7・1〉の意味を主体的に語らず、今後の9条改憲反対運動をどう展望するのだろうか。

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付記
<第3回「集団的自衛権を語る会」主催者/編集係から>

上記、井上澄夫さんのコメントは、ご本人の承諾を得て掲載しました。長文の原稿全体の、およそ三分の一、序の部分です。残りは、第4回以降の「語る会」で順次、掲載します。

元原稿は10月上旬に雑誌掲載される予定とのことで、10月半ばまではネット上での拡散はしないという条件を守ってくださるよう、ご本人からの要請を下記に直接引用します。どうぞよろしく、お願いします。

〔解説〕 本稿はある労働運動関係の月刊誌に寄せたものです。同誌は10月初旬に刊行されるので、それまでは拡散をお願いしません。みなさんがご一読くださることを期待します。井上澄夫

<<集団的自衛権について>>
精神科医 笠陽一郎

1)(依存症のあやうさ)
  アメリカのポチとして、ご主人様の忠犬で居続けても、どこかで都合よく捨てられるのだ。
  依存症にとって、禁断症状ほど苦しいものは無い。
2)(薬物療法のあやうさ)
  兵器産業、原発産業と共に、製薬産業の侵食は狡猾、広範囲にわたっていて、国を挙げて、人体実験に首を差し出している。
  暗黒搾損の悪食資本主義の餌食にはなるまい。
3)(脱集団ヒステリー)
いかなる宗教もイデオロギーも民族主義も、もちろん国家主義も乗り越えなければ未来は見えない。
  いかなる教条主義も、いかなる集団主義も、絶え間なく個に帰る循環をやめてはならない。
イデオロギーや宗教による、あらゆる洗脳から脱しよう。
  誰もが、主体的な個を取り戻そう。
4)(コミュニケーション能力の向上)
  国家は、さしあたり民族主義を経由してでも、解体されるべきである。
  スコットランド、チェチェン、ケベック、バスク、クルド、琉球、チベット、ウィグルなどなど・・。
  しかし、シオニズムのように、民族主義には大いなる限界性があることも忘れてはならない。
  尖閣や竹島などの問題は、アルザスロレーヌ地方(鉄鉱石、炭鉱)を、ドイツとフランスが共同管理したように、国家の枠組みを超えた知恵を出し合う以外に、滅亡を避ける道は無いだろう。
5)(妄想の自己認知を深めよう)
  暗黒搾損と切支丹伴天連の人種差別による搾取、侵略の世界支配。
  言い換えれば、兵器産業による絶え間なき戦争作りに、根底的に反撃しよう。
  有色人種の多い米軍によって、殺される人たちも有色人種である。
  国防も軍事的平和も要らない。
  共同幻想としての国家そのものが不要。
  非武装非暴力は幻想ではない。
  「日本を取り戻そう」・・こそ、妄想である。