侵略の供述書より

 戦後五十年を越える今、中国の戦犯管理所であったことが明らかになった。それは旧日本兵の心の変化・成長である。兵士は国のために戦っており、自らなした行為が時に残虐であってもそれを反省することは皆無と言われる。「撫順戦犯管理所」においてなされた事は歴史的に希有のことであり、人類の貴重な遺産である。

 一九五〇年、シベリアから九六九名の将官、佐官、尉官、下士官が、中国の「撫順戦犯管理所」に連れてこられた。入所後まもなく管理所が撮影した戦犯たち全員の写真を見ると「野獣のような目をした者、恐怖心を見せまいとして薄ら笑いをうかべる者、絶望の淵に立たされたような顔をした者、シベリアの飢餓と苛酷な労働とを顔に刻み込んだ者、そのどれもが健康な精神を失っている」という。

 中国人よりもいい食事が出され、虐待はなかったというが、元看守・除澤氏は当時をこう語る。「古海忠之や武部六蔵は血相を変えてこう言いました。『俺たちは満州国に尽くしたのに、その俺たちを、戦犯とは何事だ!』。他の監房からも『我々は捕虜ではあるが、戦犯などではない!』という叫び声が上がり、私たちの方を睨み付けました。その頃まだ二十歳だった私は恐怖を感じました」

 中国にしてみれば即座に極刑で臨むべきところであったろうに、その時の指揮者は周恩来であった。周恩来総理の指示はこうであった。・・「戦犯の管理は厳重にするが、一人一人の人格を尊重すること。外部は厳しく、内部は緩やかに。一人の死亡者も逃亡者も出さないこと。殴ったり罵ったり侮辱する行為は決してしないこと。思想面から教育と改造を行うこと」。収容所副所長の曲初氏はこの政策に対してこう述べる。「正直なところ、私が周総理の考えを本当に理解したのは、戦犯たちが帰国して『中帰連』を組織し、反戦平和と日中友好の活動をしているということを聞いたときでした」

 また、当時の収容者の一人、前田氏はその政策についてこう語る。「・・共産党の目的は、被抑圧者、被搾取階級を解放することです。軍閥、財閥、王室、地主を打倒して、抑圧されていた労働者、農民などの民衆を基盤とした社会を建設することです。それは、自国、他国を問わない階級性から考えた精神です。銃を持って中国へやって来た日本兵士は、大部分は貧しい労働者であり農民であって、搾取階級ではない。ほとんどが支配者階級の間違った教育をされ、戦場に来たのだ・・・」

 このような思想により接せられた兵士たちは次第に自分たちの行為を反省し、殺されていった人々の立場に立つようになる。「自分たちは『正義の戦争』だと思っていたのに、本当は何のための戦争だったのか」「なぜ俺たちはあんな残酷なことができたのだろうか」「すべて上官の命令でなされたのだし、それは即ち神である天皇の命令でもあった。残虐な行為を命じた天皇とはいったい何だったのか」「中国人を虐待した自分たちは、なぜこんなによい待遇を受けているのだろう」

 五十四年四月中隊長・宮崎弘は皆の前で読み上げた。

「わたしは天皇を崇拝し、優秀な大和民族が大東亜共栄圏を建設して東洋の盟主となり、アジアを指導、統治するのは当然のことと思っていました。三光政策を積極的に進めることが、忠君愛国の道、戦争勝利の道だと信じて来ました」・・すでに原稿を見ず彼は語る・・「初年兵教育の教官だったとき、模範を示すために十数名を刺突しました」・・

宮崎は続けて、部落襲撃のときに老人子供を次々と銃剣で突き殺したこと、逃げ遅れた妊婦を裸にして皆の面前で刺殺したこと、村中を火の海にしたことなどを、涙で顔を歪め、声を必死に絞り出すようにしながら「坦白」した。戦犯の多くが彼とは同じように体を震わせ、涙を流した」・・

 多くの兵士が自分を変える過程で思ったことは、自分たちが殺した中国人にも同じ家族がいるということであり、同じ人間であるということであった。「彼らにも家族がある、子どもがいる、父がいると思ったとき、私は取り返しのつかないことをしてしまったことに気がつきました」「自分はこれだけの人を殺しておきながら自分が助かるかも知れないと思ったとき、彼らもこんな思いで死んでいったのだということが分かりました」という。

 これは、戦争という、それも侵略戦争、三光(焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くす)作戦という残虐極まりない行動者が、人道主義に触れて、心を入れ換えていく人間の成長の記録でもある。目的のためには殺してよい人間がある。辱めてよい人間がある。これは差別思想である。差別を止めて人間を平等に大切にする、あらゆる人間を人間として見る人間へと成長することに成功したのである。

 私達は目的のためには、他人を傷つけるということをしがちである。

 私達は自分の痛みは分かっても他人の痛みを感じることは少ない。

 殺す側と殺される側。これは、お互いの痛みが分からないところに不幸を背負っている。他者の痛みを感じるということ、これは人類に課せられた使命である。それがなければ、再び被害者を強者が生み出すであろう。

(証言の部分は雑誌「世界」五月号による)